ユリ・ゲラーの登場により、日本に超能力ブームが巻き起こったのは1974年、今から50年前のこと。当時、頻繁に来日できないユリ・ゲラーの代わりに、日本のメディアに登場したのは“スプーン曲げ”ができる少年少女たちだった。そんな“超能力少年”だった「エスパー清田」こと清田益章さんに、当時の思い出を聞いた。
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1974年、『木曜スペシャル』を実家のテレビで観ていた11歳の俺は、ユリ・ゲラーの動きに心が騒ぎ、「曲がったら面白いな」と興味津々でスプーンを手に取りました。
昔から俺の周りではオモチャが勝手に動くといった不思議な現象が多かったので超能力への違和感はなく、やれないことはないだろうと試してみたら、開始50分ほどでスプーンが曲がった。寿司職人なのに精神世界に興味があった親父はそんな俺に対して、「お前は寿司屋を継がず超能力者になれ!」と言いました。
ユリの登場で世間は大騒ぎになり全国から大勢の超能力少年・超能力少女が現われたけど、次第に淘汰されて残ったのは俺だけ。絶滅危惧種みたいですが、自分みたいなのが一人くらい人類にいてもいいと思っています。
来日したユリとは雑誌の企画などで4~5回会いました。超能力者はどれだけ有名になっても常にインチキ呼ばわりされるから、自分を守るためについ周囲へのガードを上げてしまう。そんな“超能力者の性”を彼にも感じましたね。
「マネーイズパワー。ユー、アンダースタン?」
と言われたこともあります。超能力をエンターテインメント化したユリはしっかりとマネージャーを抱えた優秀なビジネスマンでもあり、油田探しなど大きなプロジェクトでは真剣そのものだった。彼はエンタメビジネスの大切さを俺に伝えたかったのかもしれません。
ユリの初来日50周年は、俺の最初のスプーン曲げから50周年でもあります。彼がいなければ超能力少年にならず、北千住の寿司屋を継いだはずです。
超能力者になって、普通なら会えない多くの人と出会えて人生が変わりましたが、そのおおもとを作ったのはユリ。半世紀前に彼がテレビでスプーンを曲げたから、俺の人生も曲がったんです(笑)。
【プロフィール】
清田益章(きよた・ますあき)/1970~1980年代にスプーン曲げや念写を披露して超能力ブームを牽引。「エスパー清田」の異名を持つ。
取材・文/池田道大
※週刊ポスト2024年8月16・23日号