過去最多となる候補者が名乗りを上げ、例を見ない大混戦になるとみられる自民党総裁選。小泉進次郎氏が有力候補に浮上した背後には、やはり「父」の存在があった。聴衆を熱狂させる演説、踏み込むタイミングを間違えない勝負勘、そして冷徹な選挙戦略───そうした政治家としての力量で周囲を圧倒した「小泉劇場」が令和の世に甦るのか。【全3回の第1回】
「50歳になるまでは総裁選に立ってはならない」
候補者乱立の自民党総裁選の行方をじっと凝視している人物がいる。
かつて国民の支持を完全に失い、支持率一桁まで落ち込んだ森内閣の後を受けて登場し、支持率85%へと奇跡の回復をなし遂げて“自民党の救世主”となった小泉純一郎・元首相だ。
その純一郎氏が、息子・進次郎氏への「50歳になるまでは総裁選には立ってはならない」との戒めをあえて解き、出馬を解禁した。この恐るべき政治勘を持つ父に、何が見えたのか。
出馬解禁までの経緯を改めて検証すると、その真意が浮かんでくる。
純一郎氏が、息子に「50歳まで出馬禁止」を申し渡していることを明かしたのは昨年12月、山崎拓・元自民党副総裁、武部勤・元幹事長、亀井静香・元政調会長らかつて小泉政権を支えた重鎮OBたちと定期的に開いている会合の席だった。
折しも、裏金問題で岸田内閣が窮地に追い込まれ、ポスト岸田が注目されはじめた時期だっただけに、“進次郎出馬せず”の情報は政界に衝撃を与えた。
その後も、純一郎氏は「出るべきじゃない」と言い続けた。山崎氏がこう証言する。
「会合では基本的に昔話をしているが、総裁選があるということで進次郎の出馬にも話が及んだ。小泉は今年3月の会合でも5月の時も『出るべきじゃない』と言っていた。理由は政治経験が乏しいからということ。総裁になるのも、総裁選に出るのもまだ経験不足だということです」
それは自身と同じ道を進もうとする息子への訓戒だったのだろう。山崎氏が続ける。
「小泉自身は若い頃から熱心に政策に取り組み、修練を積んできた。私と加藤紘一と小泉でYKKを組み、当時は経世会(竹下派)が全盛で政界を牛耳っていたなか、それに抗って党の活性化をしてきたと思う。そうやって党務や政治抗争についての経験も積んだ。小泉は当選8回までに大臣を2回やり、総裁選に3回出馬したから、3回にわたって自身の政策を取りまとめた。そんな小泉からすれば、進次郎の経験はまだ十分ではないと見えたのでしょう」