【書評】『愚か者の石』/河崎秋子・著/小学館/1980円
【評者】香山リカ(精神科医)
北海道月形町。札幌市の北東にある小さな町だ。いまは農業が盛んなこの町は、明治14年に設置された樺戸集治監(重罪犯の刑務所)の囚人たちによって開拓されてできたという特異な歴史を持つ。
直木賞作家・河崎秋子は、政治犯と目されて逮捕された東大生・巽の樺戸送りから出所、その後の生活までを実にリアルに描く。物語は主人公や謎めいた同房者の大二郎、看守の中田を中心に進むが、それ以上に強烈なのが極北の監獄生活の厳しさだ。
朝は四時起き、麦飯と薄い味噌汁だけの食事で荒れ地の開拓作業に駆り出される囚人たちは、蛇を見つけると頭部を切り落とし、「俺にもよこせ」と奪い合いながら生き血を飲み、生肉を貪る。その描写の生々しさに、都会育ちの巽ならずとも思わず吐き気がしてくるが、大二郎のひとことで目が覚める。
「俺も兄さんも、何年か経ったら人の捕まえた蛇を奪ってまで、皮がついたままの生蛇をバリバリ食うようになるのかも知れんのよ」
そうでもしなければ生きていけない現実がそこにあり、それに合わせるために人は生活信条や価値観など簡単に変えてしまうのだ。
硫黄採掘に駆り出された巽らは、あまりの重労働に次々と倒れ、命を落としていく。その仲間の死体を埋める穴掘りを、黙々とこなす巽。
「兄さん、なんかこっち来てから逞しくなったなあ」と誉めてまでくれた大二郎と巽は、その後、思わぬ別れを経験する。「裏切られた」と怒っていた巽が、恩赦で釈放されてからその謎めいた“相棒”の本当の人生を知ることになるあたりは、ぜひ実際に本書で味わってみてほしい。「命の重さと軽さ」という二面性をあらわにしていく著者の手腕は見事である。
明治時代、アイヌの土地に入植した和人は土地を奪い、開拓していった。ただ、実際の開拓に携わったのは、巽たちのような劣悪な環境に置かれた囚人たちだったことを知る人は少ない。北海道の暗い歴史だが、多くの人に読まれることを願う。
※週刊ポスト2024年9月20・27日号