9月16日(日本時間)、“米テレビ界のアカデミー賞”と称されるエミー賞が発表され、作品賞や主演男優賞など史上最多の18冠に輝いたドラマ『SHOGUN 将軍』。今作で主役とプロデューサーを務めた真田広之(63才)の名声は、いまや世界中に轟いている。
原作は、ジェームズ・クラベルの大ヒット小説。徳川家康をモデルにした戦国武将・吉井虎永が、将軍の座を手中に収めるまでを描いた壮大な物語は、真田の「日本人が見て納得できるものに」という美学のもと、美術や所作、せりふなど、細部にまで徹底的にこだわって作り込んだという。
授賞式のスピーチでは、
「これまで時代劇を継承して支えてきてくださったすべてのかたがた、そして監督や諸先生がたに心より御礼申し上げます。あなたがたから受け継いだ情熱と夢は、海を渡り、国境を超えました」
と感謝を述べ、トロフィーを握る手に力をこめた真田。渡米して約20年、艱難辛苦の末に掴んだ栄冠だった。
受賞スピーチでも口にしたように、真田の「時代劇」に対する思いは強い。その根底には恩師・千葉真一さん(享年82)の影響があるなどと報じられているが、実は彼が傾倒してきたことはほとんど知られていない大物役者がいる。
「真田さんは5才年上の歌舞伎役者・中村勘三郎さん(享年57)との親交が深かった。勘三郎さんの舞台は必ずといっていいほど見ていたし、家に遊びに行ったり、行きつけの店で深夜までお酒を酌み交わすこともしばしば。2人とも芝居一筋で、お酒の席でも芝居の話ばかりしていました。真田さんの和の所作は、勘三郎さんから自然に学んだものだったのかもしれません」(真田の知人)
アメリカに旅立つ日には、勘三郎さんが音頭を取って壮行会を開催。逆に勘三郎さんの公演初日には、真田がロスから帰国し、一等席で観劇していたという。
「2012年に勘三郎さんが急死したときにも真田さんは緊急帰国し、納骨の直前に自宅を訪れてお別れしました。遺影の前で、お孫さんにチャンバラの手ほどきをしたこともあったそうです」(前出・真田の知人)
今回の偉業で全米での認知度が一気に高まった真田は、人気トーク番組に連日引っ張りだこで流ちょうな英語を披露している。
「これまで言葉の壁に跳ね返されてきた日本人俳優は多かった。ネイティブではない真田さんが、あそこまで話せるのは、努力の賜です」(現地の芸能関係者)
さらに『SHOGUN 将軍』では、真田のプロデューサーとしての手腕も高く評価されている。
「真田さんプロデュースのもと、かつてない規模の日本人スタッフが現場に呼ばれ、撮影に参加したそうです。彼自身『肩書があるだけで、これだけ発言権があるのか』と語っていました。今後は役者としてだけでなく、プロデューサー的なかかわり方が増えていく可能性もあります」(前出・現地の芸能関係者)
前述の受賞スピーチで「これは東と西がお互いに敬意を持って出会う、夢のプロジェクトでした」とも語っていた真田。海の向こうで、「真の日本人像」を根付かせる闘いはまだ序章に過ぎない。
※女性セブン2024年10月10日号