日本初の女性総理誕生かと思われた今回の自民党総裁選。だが、フタを開ければ軍配は石破茂氏。上目遣いの鋭い目つきでボソボソとしゃべる石破氏は親近感を持てるタイプとは言い難い。その上、防衛大臣を歴任するなど国防に詳しく、憲法改正や集団的自衛権の議論に積極的となれば国民の実生活からは遠い存在にも見えるが、意外と親しみやすい“庶民派”だという。その理由は、石破氏を支える佳子夫人の存在にある。
「決選投票で2位だったのが、まさか総裁に選ばれるとは思わず、本当に皆さまがたのおかげだと思って感謝しています」
総裁選を石破氏の地元・鳥取で見守った佳子夫人は、涙ながらにそう語った。
「石破さんは総裁選に立候補したのが今回で5度目。つまりこれまでに4度も負けたということです。そのたびに佳子さんは、“力及ばず申し訳ありません”と、石破さんに代わって支持者に頭を下げ続けてきました。今回も1回目の投票で2位だったので、“またダメか”という空気が広がり、佳子さんは5度目の謝罪を覚悟した。それだけに、逆転劇には感極まっていました」(後援会関係者)
田中角栄元首相が別の結婚相手を紹介しようとした
東京出身の佳子夫人は、中高一貫の私立女子校を卒業後、慶應義塾大学法学部に入学した。そこで同級生だったのが石破氏だった。
「こんなにきれいな人がこの世にいるのか!」
初めて佳子夫人を見たとき、石破氏はそうビビビときてひとめぼれしたという。だが、大学時代はつかず離れずの友人として過ごし、卒業後は石破氏が大手銀行、佳子夫人が大手商社に就職し、道が分かれた。
社会に出て2年後の1981年、参議院議員で鳥取県知事も務めた石破氏の父・二朗氏が亡くなり、佳子夫人が友人らと連名で弔電を送ったことを機に連絡を取るようになった。社会人としての悩みを話すうち自然に交際が始まり、婚約を交わした。
婚約当時、石破氏はまだ銀行員。ところが転機はすぐにやってきた。二朗氏と親交の深かった故・田中角栄元首相が、石破氏に政界入りを強く打診したのだ。
「角栄さんの“お節介”はそれだけにとどまらず、石破さんに別の結婚相手を紹介しようとさえした。銀行員の妻になると思っていた佳子さんは悩んだ末、石破さんとの結婚を決意しました」(前出・後援会関係者)