【書評】『吾妻鏡─鎌倉幕府「正史」の虚実』/藪本勝治・著/中公新書/1100円
【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
『吾妻鏡』は、鎌倉幕府とその執権の治政を描いた「正史」であり、後世の徳川家康・秀忠父子の統治論にも大きな影響を与えた。しかし、書き手や内容の構成はじめ謎の多い書物でもある。
まず著者あるいは編者がよく分からない。藪本氏は、最近の研究動向を踏まえながら、各種資料が蓄積されていた問注所、政所、小侍所に関係していた太田(三善)、長井(大江)、金沢北条の各家の人物が編纂事業の中心にいた可能性を強調する。
たしかに、彼らの父祖の業績や活動が大きく扱われているのは偶然でないかもしれない。いずれにせよ、13世紀に幕府の中枢にいた安達泰盛や北条貞時の政権運営を背景に成立した書物であることは疑いない。藪本氏によれば、彼らが目指した「徳政」(本来あるべき善政への復古)という政治路線が叙述の傾向と深く関わっているというのだ。
『吾妻鏡』の叙述の特徴は、前半が緊迫感のある合戦叙述はじめ読者をひきつける歴史の見方や人物の対比的な配置によって、事件の因果関係がわかりやすく描かれる。他方、承久の乱以降の後半になると、羅列的な記事が多く、面白みに欠ける。前半は、源頼朝の政道が悪王化した頼家・実朝でなく、徳のある北条泰時に継承されたなどの大胆な歴史解釈も見られ、読んで面白いのとは大違いである。
承久の乱後、後鳥羽上皇の怨霊を恐れたこともあり、上皇は記述で黙殺される。すなわち不都合なことを書かない「省筆」が後半部には多い。義時や泰時にはじまる得宗(北条嫡系)の絶対的な正統性に異を称える叙述はむずかしかったからだ。
関係人物がまだ生きているか、事件の記憶が生々しい時代では「正史」を立体的に作成するのにも限界があった。軍記物語的な手法で叙述された部分は各家の事績を総合した独特な歴史像の構築にも成功しているが、異なる立場の利害調整という現実的しがらみによって各家のダイナミズムが忘れさられると、あたかも『吾妻鏡』は得宗の絶対性を語る規範の書に変質したともいえよう。
※週刊ポスト2024年10月11日号