放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、中山秀征ライブで思い出された敏いとう最強伝説、国民的ヒール小林邦昭の思い出について綴る。
* * *
日本人がどんどん世界へ羽ばたいて行って嬉しい。大谷翔平、『SHOGUN 将軍』真田広之、YOASOBI。そのくせ私の目は、より日本へ、より東京へ、より演芸へ。人一倍目は大きいが視野はせまい(ほっとけ)。しかし仲間達は最近の芸能ニュースを私のこのコラムから知るということも多い。登場人物はほとんど年配者で若い人、Z世代は出てこないが大丈夫か(大丈夫らしい)。
先日は中山ヒデライブへ。芸能大好き中山秀征がひたすら歌う会。私はワタナベエンターテインメント会長と社長夫妻と3人でうしろの方から見守る。なんたってこの日のゲストは五木ひろし。私と同い歳である。元気。
ヒデは気持ちよさそうに昔からの持ち歌『星降る街角』を歌っていた。この広い会場で、これを歌って大ヒットを飛ばした“敏いとうとハッピー&ブルー”のリーダー敏いとうが亡くなったということを知っていたのは私だけだろう。少しジーン。ヒデは何も知らずいつものように明るく歌い踊っていた。
こうして大衆芸能は伝承されていく。敏いとう最強伝説。腕っぷしの強さは芸能一。マフィアと当時、噂のあったフランク・シナトラが来日の際はなんと直談判してボディガードを買って出た。ニュース映像にも残っている。敏さんが怒っているところを見たことがあるが、最恐だった。「おいっ! てめぇのハッピーをブルーにしてやろか」。ア―ッすごい!! ご冥福を『わたし祈ってます』。
若き日、この中山ヒデと“ABブラザーズ”を組んで売れた相方は松野大介。タレント業から今は沖縄に住みながら作家稼業。いつも本を送ってくれる。タレントであれ作家であれ、常にクリエイティブなのが嬉しい。今回はなんと三谷幸喜、松野大介と連名で『三谷幸喜 創作の謎』(講談社)を出版。人見知りの激しい三谷幸喜のフトコロへよくここまで飛び込んだものだ。
『極悪女王』と共に大衆文化をみつめる目はプロレスへ。ひたすら呑んで語りあう「力道山未亡人の会」も第2回へ。一之輔やらナイツ塙も集まる。そんな中、初代タイガーマスクの宿敵、国民的ヒール小林邦昭が68で亡くなった。あの死闘、夢中で見たものだ。
スポーツ紙の記事を読み追悼のコラムがあったので、「今でもこんなに知ってる人がいるんだな」と思い読んでいたら最後に記名。スポーツ紙につとめる我が長男のコラムであった。ふたりしてよく一緒にテレビにかじりついていたっけ。
※週刊ポスト2024年10月11日号