結婚から、今年はちょうど50年の「金婚式」だった。
「西田さんの通院やリハビリにも、常に寿子さんが寄り添っていました。病院のリハビリルームを貸し切りにし、寿子さんと最小限のスタッフだけがいる状況でリハビリに励んでいました。役者として、イメージを壊したくないというこだわりがあったんでしょう。寿子さんは西田さんの出演作は必ず見ていましたし、西田さんのいちばんのファンでもありました。“100才まで生きて、演技を続けて”と言い続けていました」(別の芸能関係者)
ただ、西田さん自身は、必ずやってくる“その日”のことを強く意識していたようだ。
「死ぬということを、ごく日常的に考える年齢になりましたので、どう命をたたむか……毎日、毎日、考えている。(中略)夜、寝る前に必ず1回は“明日、死んでいたらどうしようかな”と考えます。そんな人生……幸せだなと思います」
2021年に出演した映画『いのちの停車場』の舞台挨拶で、西田さんはそう死生観を明かしていた。「死を考えることが幸せ」という独特な感性は、西田さんの経験から紡ぎ出されたものだ。
「福島県出身の西田さんは、東日本大震災で、ふるさとが甚大な被害を受けました。発災から2週間後には地元へ足を運んで、友人たちと一緒に被害の大きかった南相馬市に車で向かいました」(西田さんの知人)
その際、突然命が奪われ、人生が終わる悲劇を身をもって感じていた。
「西田さんは、仮に病気による最期だったとしても、“そろそろ自分は死ぬのかもしれない”と思いながら死を迎えられることは、幸せなことだと捉えていたんです。逆に震災や事故などで、死を意識していなかった人が突然亡くなってしまうことこそが、最大の悲しみだと考えていたそうです。
何度も病気になり、治療やリハビリが苦しいものだったとしても、役者稼業を終生まっとうし“明日、死んでいたら”という夜がな思いふけった結末の形で旅立った。西田さんにとっては“理想の死に方”を迎えられたのでしょう」(前出・西田さんの知人)
この9月には、極秘で数日間、福島へ里帰りしていたという。故郷の原風景を眺めながら、西田さんはこれまでの人生と、その先の「死」に思いを寄せたに違いない。最期まで貫いた、西田さんらしさ。その輝きはいつまでも色あせない。
※女性セブン2024年11月7日号