六代目山口組が傘下組織に機関紙『山口組新報』を配布した。毎号、組行事のレポートや写真が掲載されるため、警察やメディア関係者も注目している。最新号では山口組の“象徴”とも言える存在であり、約5年間ほど使用が制限されている「総本部」について“重要証言”が掲載されていることがわかった。
神戸市灘区篠原本町。住所から関係者の間では「篠原」とも呼ばれる山口組総本部。山口組の礎を築いた田岡一雄・三代目組長が1963年に住まいを篠原本町に構えて以来、60年以上の歴史がある。『山口組新報』の最新号では、この「総本部」の歴史を紐解いている。
「現在、『総本部』の敷地にあったのは田岡三代目の邸宅で、もともとは神戸市内の別の場所にあった。その後、竹中正久・四代目組長体制以降に山口組が田岡三代目の邸宅を買い取って、それから長年、『総本部』として機能していた。傘下組織の組員は、“ガレージ当番”として訪れることが多かった」(実話誌記者)
「総本部」には巨大な白いシャッターがあり、至る所に監視カメラが設置されている。奥にはガレージがあり、100台以上駐車できるとも言われるほど広大な敷地を有している。「ガレージ当番」とは「総本部」に出入りする車両の誘導や交通整理、警備などをする役割のことだ。
この時期になると、山口組が長年実施していたハロウィンがSNSなどで話題になるが、仮装した子供が組員からお菓子をもらっていたのもこのガレージだ。
“当番”は広大なガレージ内で近隣の清掃、見張りなど24時間体制で行い、息もつく間もないと言う。『山口組新報』でも〈雨の日には雨合羽を着てずぶ濡れになりながら、また夏の暑い日には顔が真っ赤に日焼けしている方もいました〉(以下、〈〉内は『山口組新報』より)と記載されている。
『山口組新報』最新号ではこのガレージの変貌が特集されていた。田岡三代目の邸宅だった頃のガレージは〈未舗装で土の地面、入り口に簡素な屋根の下にベンチが置いてあるだけ〉だったという。その後、竹中四代目体制になると、機能が拡張されていく。新本部棟が着工されるとともに、ガレージも舗装され、「ガレージ当番」も生まれた。近くの喫茶店は“当番”の組員にとって憩いの場になっていたという。平成に入り、渡辺芳則・五代目体制になると、〈ガレージ小屋が建設され、テニスコートやゴルフの練習ネットが張られました〉〈鳥小屋があり烏骨鶏が飼われていました〉と様変わり。渡辺五代目は、敷地内に住まいを置いていて、そこでは警察犬や災害救助犬として活躍するドイツ原産の大型犬ロットワイラーも飼われていたと記されている。
2005年に司忍組長による六代目体制に移行すると、ガレージはセキュリティの大幅な強化が図られる。〈シャッターの内側には防弾のアクリル板で出来た扉が取り付けられます〉といい、また、“当番”にはIDカードを所持させ、入退室を厳しく管理するようになったもと記載されている。一方で、食事会など関係各所との行事や、ハロウィンや餅つきほか、近隣住民が参加できるイベントを「総本部」で行う機会が増えたため、食堂も新設された。〈直参の叔父貴や付き添いの若い衆、ガレージ当番の方の腹も満たされるようになった〉という。