これは英仏にとっては有利な事態である。前回までの記述を思い出していただきたい。そもそも英仏は、ブルジョアジーを敵視するソビエト連邦をこれ以上発展させたらまずいと考えていた。そのためには、プロレタリア革命に反対する保守派つまり白軍を支援するのが最良の策である。
しかし、いくら共産党が気に食わないからといって「彼らを潰すために派兵する」ことはできない。独立国で国民の支持を固めた政権を、戦争をしているわけでも無いのに攻めるわけにはいかない。そんなことをすれば「無名の師」(大義名分なき戦争)として国際世論の批判を浴び、歴史上にも悪名を残す。
逆に言えば大義名分さえあれば出兵できるわけで、英仏は「ソビエトに弾圧されているチェコ軍団を救出する」という絶好の大義名分を得た。しかも、これについては新たに「連合国」に加わったアメリカも、もろ手を挙げて賛成した。
十月革命を成し遂げた時点で、指導者のウラジーミル・レーニンは第一次世界大戦の収束に向けて「無賠償」「無併合」「民族自決」に基づく即時講和を世界に提案していた。これを「平和に関する布告」という。これに対してもっとも敏感に反応したのが、アメリカの当時の大統領(第28代)のウッドロー・ウィルソンだった。
彼は理想主義者で共産主義者では無かったが、世界に新しい秩序を設けるべきだと考えていた。後に国際連盟の設立を提唱したのも、このとき帝国主義と決別したレーニンの布告に一部「賛同」したのもそのためだ。アメリカも資本主義の国家である以上、帝国主義の常套手段である「賠償請求」や「併合」を否定するのは難しいが、民族自決なら大手を振って賛成できる。じつは、これ以前に「民族自決」という言葉は無かった。辞典で「民族自決主義」を引くと、次のように説明されている。
〈各民族はその政治的運命をみずから決定する権利をもち、他民族による干渉を認めないとする主義。植民地などの民族独立運動の指導的理念。第一次世界大戦末期、アメリカの大統領ウィルソンが主張し、ベルサイユ会議での原則となった。〉
(『日本国語大辞典』小学館刊)
この「民族自決主義」は、ベルサイユ会議つまり第一次世界大戦終了後の講和会議で尊重されたものの、すべての民族に適用されたわけでは無かった。いや、「チベット自治区」「新疆ウイグル自治区」などの現状を見れば、現在も達成されているとは言い難い。しかし、この時点で人類はあきらかに一歩前に進んだ。お気づきかもしれないが、そもそも帝国とは一つの理念の下に異なる民族を統合したものだから、民族自決主義とは帝国の否定につながるのである。
自縄自縛という言葉があるが、この時期ウィルソンがはまったのはそれだった。民族自決主義をアメリカが国是とする限り、民族国家を作りたいと宣言したチェコ軍団はなにがなんでも助けなければならないことになるからだ。英仏にとってはまさに「渡りに船」で、両国はアメリカにチェコ軍団救出のためという口実で、実際は白軍支援目的のシベリアへの出兵を要請した。しかし、味方のなかでもっともシベリアに近いのは日本だ。つまり、日本の大陸への出兵を認めたくなかったアメリカも、この際認めざるを得ないということになった。
日本にしてみれば、これほど望ましい状況は無い。
(第1437回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2024年11月29日号