京急線とJRが乗り入れる川崎の八丁畷(はっちょうなわて)駅から徒歩2分ほど。シックな店構えの『久保田酒店』は、創業100年超の老舗だ。
3代目の窪田(くぼた)隆太郎さん(53歳)は、「初代は『窪田』より読みやすい『久保田』を屋号にし、配達トラックを赤く目立たせて、工場街の名物にしたアイデアマンでした」と語る。その後、一大繁華街である川崎のホテルや飲食店など、約700店への卸売りに力を入れ、店は発展してきた。
今年、市制100周年を迎えた川崎は、古くから東海道の宿場町で、ここ八丁畷は、松尾芭蕉が、江戸を離れ故郷・伊賀へ旅立つときに、門弟たちと別れた場所でもある。店の近くには、芭蕉が別れを惜しんで詠んだ「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」と刻まれた句碑が建立されている。八丁畷の地名は、八丁(870メートルほど)畷(田んぼ道)が続いていることに由来する。
今なお賑やかに人が行き交うこの地で商い、栄えてきた久保田酒店だったが、3年前のコロナ禍で転機が訪れた。
店主は語る。
「酒類販売がほぼ止まりまして、酒屋としては、この先の日々を考える大きな契機となりました。従業員の生活をどう守ろうかとも悩みました。その時期、うちの倉庫には、売れないお酒が溜まりましてね、そうしたところ、ある日、従業員のひとりから『ガレージセールをやりたい』とアイデアが出たんです」
配達業務が止まった中、店で酒類のセールを開催した。「酒を買いに来てくれた近隣住民の方たちと改めて顔を合わせて、声を聞いて、会話をしながらの商売は、とても活気が出たんです。うちで働く皆が、やってよかったと口々に言いました」(店主)。
「この店を、地元の人に喜ばれる酒屋の原点に戻そう」という気持ちが高まったのだと振り返る。
そこからの行動は早かった。それまで、店は、お弁当なども販売する「よろずストア」として営業してきたが、趣を一気に変えて、「立ち飲みができるお酒の専門店」に大改造したのだ。
「人と人が笑顔を交わす場所にしたくて」と想いがこもった店は、2021年4月に、酒蔵をイメージした、黒基調のモダンな角打ちへと変わった。
紫の大きな店頭幕が目立つ新店舗が完成すると、近所に住む人からは、「変わると聞いたけど、まさか、こんな別の感じになるとはびっくりです。うちからすぐのところに、いい雰囲気のお店ができてうれしい」(40代)、「子育てを一旦忘れて、デート感覚で、ここで一杯やれるのはいいね」(40代の夫婦)と、評判も上々で、「家飲みの延長としては最高!」と人出が少しずつ戻ってきた。
新商品や新メニューも次々と用意するなど、趣向を凝らしていたら、自然と客と店の人との交流が生まれたり、客同士がお酒の情報をやりとりしたりするサロンの雰囲気ができてきたという。
ここ八丁畷で生まれ育ったという常連(70代)は、「子供の頃から知ってる酒屋が、よくもまあ、こんなにきれいにオシャレに大変身したもんだ。時代は変わるよね」と変化を楽しみながら酒を傾けている。