総選挙で自民党が大敗を喫し、与党過半数割れに追い込まれた。にもかかわらず、石破茂・首相は続投。終わりの見えない閉塞感がこの国の政治を覆っているように見える。その光景は、この男の目にはどう映っているのか。政権交代を2度起こした立役者であり、「政界の壊し屋」の異名を持つ小沢一郎・衆院議員(82)だ。“3度目”への道筋があるのか、どう動くつもりなのか、フリージャーナリスト・城本勝氏が問うた。(文中一部敬称略)【全3回の第2回】
「玉木首班」の可能性
次の政権交代のチャンスはいつやってくるのか。政界では、来年夏の参議院選挙が一つの山になるという声が多いが、小沢はこう予想する。
「まず野党や有権者の危機意識がもっと高まることが大前提だ。そして、そのポイントの一つは内政の問題で言えば、例えば予算委員会。国民民主が主張する『103万円の壁』引き上げも、複雑な協議をまとめて国会を通すのはそう簡単ではない。国民民主を入れても絶対安定多数には到達しないからね。来年に向けて税制改正や本予算の編成もある。不安定な政権のままだと、いつ行き詰まってもおかしくない。
もう一つは緊迫する対外情勢。一番怖いのはトランプ次期大統領の存在だ。彼が主張する関税10~20%が実現したら、日本の経済には深刻な打撃になり、国民生活も影響を受ける。政治不信もさらに高まるだろう。少数与党で不安定な石破政権では行き詰まるのは目に見えている。その時が一つのタイミングになる」
小沢は2度政権交代を実現した。最初は1993年の非自民・細川護熙連立政権、2度目は2009年の民主党政権だ。
特に1993年は、比較第一党の自民党に対して、野党勢力を糾合して非自民・非共産の8党派からなる連立政権を樹立した。一人で水面下の工作を続け、少数政党の細川を担いで野党を一気にまとめあげた手法は「小沢マジック」と呼ばれた。
野党を糾合して政権交代を実現するためには何が必要なのか。小沢は当時を振り返りながらこう語る。
「1993年の時は、野党第1党の社会党の委員長(山花貞夫氏)でも、第2党の新生党の羽田孜代表でもなく、細川さんをトップにしたからまとまった。当時は社会党だって『羽田さんでいい』と言っていたのだが、僕は、それでは危ない(まとまらない)と思っていた。細川さんならいけるという確信があった。
二度目の政権交代で民主党政権をつくった時も、僕は代表を辞して代表代行として選挙に専念したから勝てた。政権を取った後は、僕が検察の意図的な妨害で表に出なかったことで政権運営がうまくいかずに民主党政権がつぶれてしまったが……。結局、こういう時は、『自分が、自分が』とやっていてはまとまるものもまとまらない。それぞれが我慢を覚えることが大切で、大きいところほど自分を殺し、相手に譲らなければならない。自分のことばかり言っていたら、他はついてこない。大事をなすには身を捨てる覚悟が必要。
いまの政治状況なら、例えば最大野党の党首である野田さんが譲って、連立政権のトップは少数政党の党首とすることにより、まとめやすくなる。その意味では、玉木首班という目もあるにはあったが、初めから彼がはしゃぎ過ぎたし、スキャンダルも出てしまったから、なかなか難しい」