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【鴻巣友季子氏が選ぶ「2025年を占う1冊」】アラビア語からの翻訳小説『とるに足りない細部』文化や宗教の違いは人間のささやかな細部から成る

『とるに足りない細部』/アダニーヤ・シブリー・著 山本薫・訳

『とるに足りない細部』/アダニーヤ・シブリー・著 山本薫・訳

【書評】『とるに足りない細部』/アダニーヤ・シブリー・著 山本薫・訳/河出書房新社/2200円
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)

 二十一世紀の四分の一が過ぎようとしている。このまま戦争とヘイトの世紀になってしまうのだろうか。前世紀末、私たちは平等と多様性と個人の自由意思をもっと楽観的に信じていた。それが分断を深刻化させるとはあまり意識していなかった。

『とるに足りない細部』はアラビア語からの翻訳小説だ。人間の無力さ、わかりあえなさ、生の救いのなさをテーマにしている。それを直視することでしか私たちはこの時代を生き抜いていけないのではないか。

 本書は二〇一七年に刊行され、欧米で翻訳されると大きな話題になり、ドイツのリベラトゥール賞を授与された。ところが、昨年十月にフランクフルトで行われる予定だった授賞式は、イスラエルによるガザ地区への攻撃が激化するなかで、「イスラエルへの完全な連帯」を表明する主催者側に一方的に中止された。

 二部構成の本書は、第一部はアラブ系遊牧民の少女を砂漠の駐屯地でレイプし殺したイスラエル軍将校、第二部はのちにその事件の真相を追うパレスチナの女性という二視点から語られる。

 第一部の三人称語りはまったく人間みを欠く。唯一感じられるのは、将校の鬱屈と、うっすらした恐怖だ。彼は序盤で毒虫に咬まれ、その傷がなにをやっても悪化し、膿み崩れていく。彼は狂ったように虫を追いかける。この図は戦場での人間性の壊死と内なる恐れを外在化したメタファーだろう。

 一人称語りでの第二部で、パレスチナ女性は調査のためにイスラエル領土に入る。風景からはアラビア語の地名が消え去り、真相は捉えようとすれば逃げていく。

 これは境界をめぐる小説でもあるだろう。絵画の真作と贋作の違いは最も些細な部分に現れるというくだりが印象的である。「とるに足りない細部」とはその人間をその人間たらしめている標なのだ。文化や宗教の大きな違いは人間のささやかな細部から成っている。百五十頁ほどの小さな本だが、いまぜひ読んでほしい。

※週刊ポスト2025年1月3・10日号

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