【書評】『日本人にとって教養とはなにか―〈和〉〈漢〉〈洋〉の文化史』/鈴木健一・著/勉誠社/3850円
【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
著者は、日本人の教養として〈和〉と〈漢〉の調和、幕末明治から比重が大きくなる〈洋〉の刺激を挙げる。著者はもともと江戸文学の専門家であるが、研究を支える教養と知識の幅は驚くほど広く、そして深い。『古事記』『日本書紀』から始まり、米テレビドラマ『奥様は魔女』で終わる教養書は誰にでも構想できるわけではない。デジタル化と英語重視が進む日本の社会で、日本人としての同一性を失わずに〈和〉と〈漢〉のよさを持ちながら、〈洋〉の基準に即しつつ国際化のなかで自分たちのよさを発揮するにはどうしたらよいか。幼少期からの驚くほど豊かな経験にも支えられて、著者が強調する〈和〉〈漢〉〈洋〉の個性は次のようなものだ。
〈和〉は物事をやわらかく受入れ、時には曖昧さを許容する。これによって外来文明をさまざまに取り込んでいった。自然の豊かさ、それを受けとめる繊細さも〈和〉の特質だ。では〈漢〉の特質は何か。何よりも構想力と、その大きさや豊かさだというのだ。『源氏物語』も、「長恨歌」など白楽天の文学に学んで成立したものだ。また論理性に加えて、なよやかな和語に骨格を与え、引き締まった文体にする硬質さも〈漢〉の魅力であろう。これは漢文で書かれた頼山陽の『日本外史』を読めばすぐわかる。
もっとも、現代において〈漢〉は分が悪い。〈洋〉に圧倒された〈漢〉は、とっつきにくいだけでなく、何かマッチョ的で男っぽい所があり、当世受けないのだ。これに反して〈洋〉は、ロマンチックで自由で平等で男女平等の現代に合致する。そのうえ、科学性や数値化や公平性にもすぐれている。
欠点もある。それはあまりにも競争を激しくすることだ。こうして著者は、三つの良さをきちんと意識しながら人生を過ごし、日本語と日本文化を大切にする点こそ教養の基礎であり、充実した成果につながると結論づける。三つを兼備し、言葉の感覚に鋭敏になれば、他者の感情を思いやれるという著者の指摘こそ、21世紀の日本人に必要な導きの糸ではなかろうか。
※週刊ポスト2025年1月3・10日号