昭和100年が幕を開けた。元号は天皇の即位に始まり、新年は天皇の祈りに始まる。この節目に、作家の佐藤優氏と政治思想史研究者の片山杜秀・慶應義塾大学法学部教授が、平成、令和へと続く天皇家の百年史を振り返る。【前後編の前編】(文中敬称略)
現人神からの転換
佐藤:現在、昭和100年という括りで語れるのは、敗戦という激動を経験してもなお、天皇制が維持されたからと思います。それにしても昭和天皇はなぜ、昭和20年に退位しなかったのでしょうか?
片山:敗戦翌年(昭和21年)の元日に、いわゆる「人間宣言」の詔書が出されます。占領軍は日本の軍国主義の原因を天皇に求めようとした。現人神のために国民が平気で死ねる構造があると。ところが天皇は退位して責任を取る道を選ばなかった。神でなく人間。その人間天皇が崩御するまで辞めない。明治以来の新制度ですが、そこさえ守れば、国家の連続性は維持される。国体は護持される。軍隊や現人神は日本の本質でない。そういう考え方かと思います。
佐藤:そこがポイントですね。天皇の生物学的な寿命と元号の生命が一体であるとする天皇制は守られました。裏を返せば、その原則が崩れた現上皇の生前退位がどれだけ大きな事件だったか、ということでもあります。
片山:そうですね。敗戦に断絶があると捉えられますが、天皇は変わらず、昭和は続いた。当時、昭和天皇に対して、「戦中は多くの人が天皇のために死んでいったのに」という感情を抱く国民もいたし、共和制を唱える左派からの反発もあった。しかし、背広を着て全国巡幸を行なうことで、現人神から草の根的に民衆の共感を得る天皇像に転換していきます。
佐藤:人間宣言の年の5月には、共産党員の松島松太郎が食糧メーデーで、「朕はタラフク食ってるぞ、ナンジ人民餓えて死ね」と詔書のパロディをプラカードに書いて「不敬罪」で逮捕される事件もありました。しかし、裁判では「名誉棄損罪」に切りかえざるを得ず、最終的には新憲法公布の恩赦で免訴になった。それほど天皇の権威がゆらいでいたことを象徴するような出来事でした。
片山:天皇は存在自体が特別だから天皇を侮辱すると不敬罪。それが天皇も普通の人間だから名誉棄損に。すると神でなく人間なのに戦後も天皇で居られるのはなぜか。昭和天皇の周辺の考えた理屈は信頼される立派な徳の高い人間という概念ですね。神でも人間でも天皇は天皇であると。