【書評】『結局、人生最後に残る趣味は何か』/林望・著/草思社/1870円
【評者】平山周吉(雑文家)
「あの日に帰りたい」
淡い悔恨をともなって、そう夢想することは誰にもある。戻れるはずのない歳月を、自力で取り戻すことを勧めるのが本書だ。リンボウ先生は『結局、人生最後に残る趣味は何か』で、「新しく趣味を始めるとしたら」という問いに、アドバイスをくれる。
「自分が、たとえば高校生だった時分に、やりたかったことを思い出せばいいんじゃないですか」
それならば、誰もがたちどころに、幾つもの夢を思い出すだろう。その問いかけは、「はたして自分とは如何なる存在なのか」という奥深い問題をも引き出す。
会合、パーティ、法事などの「義理」を欠くことが許される年齢になった。それなら、体力と気力が衰えないうちに、「何かを作り出すクリエイティブな営為」に踏み出し、自分の人生に「付加価値」をつける絶好のチャンスがやって来たのではないか。
あとは、人それぞれ。楽器を演奏するもよし、俳句をひねるもよし。もっと人とは違う愉しみ、喜びを目指すもよし。リンボウ先生の場合は、かなり高度なチャレンジをなさっているが、そこはそれ、人それぞれだ。
趣味は友だち作りの場ではない。心を許し、話ができる友は、せいぜい一人か二人で十分だ。そうした「心友」がいれば、コラボを。いなければ、それはそれで、何に煩わされることもなく、自分本位での集中も可だろう。
読んでいると、なんだか今様の『徒然草』を読んでいるような闊達な気分になってくる。リンボウ先生は『徒然草』や『源氏物語』の現代語訳(謹訳)の作者でもあるのだが。
意外や意外、リンボウ先生は、現在は「春画」の収集にも取り組んでいる。江戸時代の木版画は高価で手が出ないが、明治大正昭和の「秘密出版」物なら、誰も見向きをしないので、安価に入手できる。「子どもには見せられない世界ですが、そのバカバカしさにこそ面白さがあります」。何事も体力が肝心、日々の散歩は必須だ。
※週刊ポスト2025年1月17・24日号