【書評】『物語要素事典』/神山重彦・著/国書刊行会/2万8600円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
小学校五年生の時の夏休み、オルフェウスとイザナギの冥府の亡妻の元に赴く神話が「同じ」であることに気がついて興奮し、これが失われたムー大陸から文明が始まった証拠だという自由研究をノート一冊にまとめて提出して担任に黙殺されたことがあった。それが民俗学を学ぶ動機となったかといえば伝奇まんがの原作者としての出自だと言った方が正しいが、口承文芸研究ではこのような類似した物語のくだりをモチーフと呼ぶ。
この類似したモチーフは1930年代、北米の民話研究者スティス・トンプソンによって国際比較の指針としてインデックスとして整理されている。モチーフは単体、もしくはいくつか連鎖して「話型」となり現在はハンス=イェルク・ウター『国際昔話話型カタログ 分類と文献目録』として日本語訳も刊行されている。
ムー大陸はさておき、昔話のモチーフがいくつかの起源の地から伝播して世界に広がったというのがフィンランド学派と呼ばれる昔話研究の立場だが、一方でその文化圏内の偏差に興味を示したのが折口信夫の「物語要素」という概念だ。貴人が辺境をさすらう「貴種流離譚」が知られる。柳田國男も「固有信仰」という言い方で「物語要素」に言及している。
本書は「物語要素」という語を用いているが折口・柳田的な「固有」でなくむしろ物語の文化圏や領域を超えた多様性と類似を可視化するもので「可視化」とはその圧巻されるボリュームにも見て取れる。これほどの膨大なモチーフが人類史に存在ししかも類似もしている。それはほとんど私たちの想像力の目録のようである。
一方で著者の「物語要素事典」は私家版やオンラインなどでぼくのような物語作者の種本として秘かに愛用されてきた。ラノベの起源であるファンタジー小説は古今の民話神話が題材にとられてきたがこの事典の刊行は、いささか行き詰まった感もあるこの領域をブレイクスルーするきっかけになるという気さえする。とにかくも出版した版元の英断に感謝したい。
※週刊ポスト2025年2月7日号