2020年、フリーランス芸人として再出発した、お笑いコンビ・浅草キッドの玉袋筋太郎(57歳)。著書『美しく枯れる。』(KADOKAWA)で、自身の仕事ぶりについて、芸名にとらわれすぎるあまり「破天荒」「無頼派」を無意識のうちに演じてきたことに気づいたと打ち明けている。
自らを見つめ直すことで、自分の持ち味を生かし「少しくらい身勝手に、好き勝手に生きていいもいいじゃないのかな」とも思えるようになったという玉袋。ただ、それはあくまで仕事の話であり、「ひとりの50代の男」としては、当てはまらないという。
50代半ばを過ぎた玉袋が「美しく枯れる」生き方をテーマに、右往左往しながらも前に進もうと懸命にもがく心境を綴った同書より、50代からは「身勝手に生きない」理由をお届けする。(同書より一部抜粋して再構成)【全4回の第4回。第1回を読む】
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そもそもオレ自身が迷ったり、つまずいたり、試行錯誤したりを繰り返している。毎日をどうにかこうにか生きているのだから、そう簡単に真の正解は見つからない。
だけど、50代を迎えてすでに5年以上が経過して、いまでは「アラフィフ」というよりも「アラ還」として、いよいよ還暦という大台も視野に入ってきた。明確な答えこそないものの、「これからはこうして生きていこう」と考えていることはある。
じいさんのキンタマ袋のように美しく枯れるために、現在のオレが考えていることをツラツラと述べていくよ。「オレも、そう思うよ」と頷いてくれることもあれば、「それは違うよ、玉さん」となることがあるかもしれない。
そんなこんなで、ひとまずはオレの考えを書いていこう。
中高年向けの自己啓発本には、しばしば「50代からは自分勝手に生きてみよう」と書かれている。「会社でも家庭でもさんざん我慢して生きてきたのだから、そろそろ自分に素直になって好き勝手に生きてもいいのでは?」という意味だよな。
でも、その考えに賛成できないオレがいる。
オレ自身の話として「玉袋筋太郎という名前に縛られずに、もう少し身勝手に、好き勝手に生きてもいい」と書いたよな。でもそれは、あくまでも芸名にまつわる話であって、ひとりの人間としての話じゃない。
芸人としては、自分の身の丈に合った「いまのオレだからできる笑い」を追い求めていきたいから、いままでよりも身勝手に自分勝手に生きていくつもりでいる。そして、家庭ではもちろん「カミさんファースト」の精神を忘れずにいたい。