亡くなった母・中村メイコさんのことをちょっと辛口&たっぷり愛情を込めて綴った、神津はづきさんの著書『ママはいつもつけまつげ 母・中村メイコとドタバタ喜劇』。美空ひばりさんや森繁久彌さん、郷ひろみさんなど有名人との交流についても明かされる一冊。執筆の裏側について、神津さんが明かす。
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私は母から料理も裁縫も教わったことがありません。女優だからでも、忙しいからでもなく、 むしろ「教えて」と言えば、いくらでも教えてくれたに違いないのですが、私が「教わってはダメだ!」と拒絶していたのです。
今、酷い娘だと思われたなら、ぜひ本書『ママはいつもつけまつげ』を読んでいただきたいです! 読めばきっと「はづきちゃん、教わらなくて正解ね」と思われるはずです。
そんな母は、戦時中の文壇への圧力で書くことをやめたユーモア小説の作家だった祖父の影響もあり、「人生は喜劇的でありたい」との思いを89年貫き、亡くなる日まで2日で1本のウイスキーを飲み、そして最期は苦しむことなく父の腕の中で息を引き取りました。
母が、砂糖と小麦粉を間違えて卵焼きを作った時も、「大根があったわ!」とお味噌汁に細かく刻んだべったら漬けを入れて食卓に出した時も(母はなぜだか決して味見をしないのだ)、父は私たち子供に小さく首を振る……何も言うな! の合図。 私たち子供も小さく首を振る……無理! 食べられない! の合図。
父は、母の目を盗んでビニール袋を持ってくると、母に気づかれないようにテーブルの下から私たちに袋を手渡します。そしてビニール袋を私たちの間を何周かさせながら、卵焼きとお味噌汁を少しずつ袋に入れていきます。それは父の母への優しさだったのですが、スリリングなゲームでもありました。私たちが床に落とそうものなら父は慌てて足で犬を突き、その得体の知れぬ食べ物を綺麗に舐めさせます。
それを何も知らない母は、食卓の上では「上手くいった!」と笑いを我慢している私たちに、「美味しかった?」などと笑顔で聞くのです。
こんな家庭を素敵などとは誰も思わないでしょうが、喜劇的ではあったと思います。喜劇の裏にはペーソス(父の苦労)があり、笑顔の奥には夕飯をだいぶ袋に詰めてしまい、お腹が空いた子供の涙があったのですから。
この本は、母が亡くなり「改めてお母さまの思い出を書いてみてください」と編集者さんから声をかけていただき一から書いたものです。幼い頃、奇異な母を受け入れられずにいた記憶はあります。母と仲が悪かったことはないので、その記憶をなんとか4コマ漫画のようにして楽しいこととして記憶し直そうと、こっそり書き始めたのは10年以上前のこと。そして、それが2020年に「女性セブン」で連載されることになるのですが、それは家族全員が目にするということでもあり、私にしてみれば日記を見られるようなもの……なので、連載では「90%事実に基づくフィクション」としました。
2023年の大晦日に母が亡くなり、改めて一から書くということは、事実を書けと言われているのだなぁと思い、「ま、一か八か書いてみるか!」と腹を括り書き始めました。すると、幼い頃の恨みつらみはどこへいったのか、思い出しては一人で笑ったり涙を流したりしながら、亡くなってからの方が近くに感じる母に話しかけ、初めて母と二人の密な時間を過ごしながら書いてしまいました。たまに「失礼ね~勝手なこと書いて~」と、ほろ酔いの母の声も聞こえてきたけど……。
読んでくださったかたからは「読み出したら止まらず最後まで読んじゃった」と〝かっぱえびせん感想〟がたくさん届いています。父と姉に本は渡したものの、感想など聞けるわけがありません。だって我が家で繰り広げられたドタバタ喜劇──赤裸々な告白──なのですから。
家族仲良く、美味しい食卓と笑顔! そんなクリームシチューのCMみたいな家って本当にあるのかな?って思うけれど、私はそれが一番の幸せとも思わないです。立派じゃなくても上手に出来なくても、ちゃんと笑顔が1つ2つと増えていって、いつしかそれが自分の人生になっていくんだなーと思います。
【プロフィール】
神津はづき/1962年東京都生まれ。東洋英和女学院高等部を卒業後、ニューヨークへ留学。帰国後、母親の後を継いで女優となる。1992年、俳優・杉本哲太と結婚。一男一女の母。本書が初著作。
※女性セブン2025年2月13日号