『ルーヴル美術館 ブランディングの百年』/藤原貞朗・著
【書評】『ルーヴル美術館 ブランディングの百年』/藤原貞朗・著/講談社選書メチエ/2200円
【評者】井上章一(国際日本文化研究センター所長)
ルーヴル美術館の名は、美術の門外漢でも、たいてい知っている。パリを代表する観光名所のひとつである。あそこで、ダビンチの「モナリザ」を見る。「ミロのヴィーナス」や「サモトラケのニケ」をおがむ。それが、ありきたりの観光コースになっている。
しかし、ルーヴルがはじめからそんな施設だったわけではない。たとえば、「モナリザ」である。今はこれだけを展示するために、特別な部屋があたえられている。だが、百年ほど前までは、他のイタリア絵画と同じところに、雑然とならべられていた。ルーヴルを代表するようなスター作品になったのは、わりあい新しい。
現在「モナリザ」が鎮座している部屋は、ナポレオン3世が増設した。美術のためではない。皇帝は会場として、これをととのえた。のみならず、いわゆる第2帝政期には、ここへ政府の執務室があつめられている。ルーヴルは帝国庁舎兼美術館としてあつかわれた。最終的に、まじり気のない美術館となったのは、財務省がたちのいた1989年からである。
「サモトラケのニケ」は、今大階段の踊り場におかれている。翼をひろげた古代ギリシアの女神像である。やはり、特権的なあつかいをうけてきた。しかし、この像は、その待遇のみならず、姿形じたいに近代の加工がひそんでいる。
エーゲ海の島で発見された時は、胸から上がこなごなになっていた。1880年ごろには、翼やバストがない状態で陳列されている。今の姿は、近代の空想にもささえられた復元のたまものである。そういう作品に、ルーヴルは特等席をあたえた。そして、美術館の顔にしたてたのである。
20世紀のなかば以後、ルーヴルの名作はフランスの国際政治にも活用された。アメリカへ貸しだされた「モナリザ」は、圧倒的な外交力を発揮している。そうした過程をへて、ルーヴルは美術の世界における覇権を勝ちとった。日本の美術館に、この真似はできまい。しかし、読み物としては、ばつぐんにおもしろかった。
※週刊ポスト2025年2月14・21日号