我々の認識自体そもそも物語的
「この報告の書き手はどんな人なのかと考えてみるのも面白いかもしれません。第2話の『印地打ち』は柳田國男風でいこうとか、地の文のスタイルもいろいろと工夫しました。
まあこれが小説かというと異論もあるでしょうけど、たぶん僕は物語というものが好きじゃないんですよ。好きじゃないけど、物語の力は認めているわけで、基本的には物語をただストレートに書くだけじゃない小説が書きたいんですね。
特に本作では虚構がもつ広がりを表現したいという気持ちが強く、そこはボルヘスの影響ですね。小説は言葉を描写するものだというのがボルヘスの考えで、言葉をいかに集めてくるかに小説の肝はある。ボルヘスに限らず、過去に読んだ作品の面白さを自分で再現したいという純粋な欲望が、僕が小説を書く最大の動機なんです」
その他、『江戸武芸道場番付』で〈東前頭三枚目〉に選ばれ、〈兵は詭道なり〉〈そもそも卑怯はよろしくないとの思想を流布したのは、知恵者の奸計〉として戦わずに勝つ技術を磨いた〈天真流清心館〉の浮沈を描く第1話や、石打ちの技をもって戦国時代に活躍した信州上田の技能集団の足跡を追う「印地打ち」。また〈雷神〉捕獲の夢を追った「江戸の錬金術師」や、幕末の混乱の中、ふたりの幼馴染が〈郵便将棋〉で繋がれる最終話まで、油断すると思わぬ感動が待っていたりもして、つくづく物語は侮れない。
「そもそも我々の認識自体が物語的で、そうでないと何も了解できないと言っていい。歴史認識や自己認識も物語抜きにはありえない。物語は小説の魅力の源泉でもあるわけですけど、小説はその物語を問題にし、批評するジャンルなんです。
小説は自分が虚構であると予め宣言して書かれるジャンル。そうやって流通する物語や世界の認識に、揺らぎを与えるのが小説の役割なんだと思う。まあそうした理屈はともかく、なんだかリズムや文章が面白いんだよなあと、小説好きの方に少しでも思っていただければ、それだけで十分です」
私達は物語を好み、虚構に遊ぶ。果たしてその虚々実々の営みの本質が何であるかは、奥泉氏も未だ答えを持たないと言い、しかし単純な物語に囚われることから逃れるために、小説の虚構は編まれるのだと作家は主張してやまない。
【プロフィール】
奥泉光(おくいずみ・ひかる)/1956年山形県生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士前期課程修了。1993年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、1994年『石の来歴』で芥川賞、2009年『神器 軍艦「橿原」殺人事件』で野間文芸賞、2014年『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞、2018年『雪の階』で柴田錬三郎賞と毎日出版文化賞、2025年『虚史のリズム』で毎日芸術賞を受賞。著書に『「吾輩は猫である」殺人事件』『グランド・ミステリー』『鳥類学者のファンタジア』等。161cm、65kg、A型。
構成/橋本紀子
※週刊ポスト2025年2月28日・3月7日号