『おきざりにした悲しみは』/原田宗典・著
【書評】『おきざりにした悲しみは』/原田宗典・著/岩波書店/2200円
【評者】関川夏央(作家)
二〇二三年夏、長坂誠は六十五歳になった。食品メーカーの倉庫でフォークリフトを運転する派遣労働者である彼が住むのは東京西郊、小平の和式トイレの古いアパートだ。酷暑の八月初め、電気・ガス・水道を止められたという同じアパートに住む女の子・真子に水を汲んでやったのが最初の接触だった。
社会性の欠如した中学二年生の真子には、三歳下「自閉症に近い発達障害」の弟・圭がいる。母親は二十日前に家を出たきり戻らない。放ってもおけず、誠は二人にやむを得ず親切に接する。
誠の人生は起伏に富みすぎている。三十代は鬱病で酒とドラッグに溺れた。四十代の初めには筋の悪い男たちとつきあい、知らぬ間に生命保険をかけられて殺されそうになった。大阪の風俗店で働いていたとき、覚醒剤所持で捕まった。ただし使用してはいない。それから故郷の岡山に帰り、製パン工場で十五年間働いた。再び東京に出たのは六十歳のときだ。
弟の圭は写真記憶の持ち主で、図書館で見た千七百年前の書家・王羲之の手蹟を再現できる。真子は藤圭子の再来のように歌えるのに、藤圭子を知らない。「夢は夜ひらく」も知らない。二人は天才なのだが、天才は大きな欠落の中にしか宿らない。
誠がギターを弾き、真子が歌う動画をユーチューブに投稿すると、全国はおろか広東省東莞市からも強い反応があった。最新通信機器を扱う彼らは、動画の背景の襖に弟が墨書した「羲之頓首喪亂之極」に始まる王羲之の弔詞に注目した。誠と姉弟の運命は、会って二十日後には大きく変転する。そして誠には、天才姉弟を守るという義務が生じた。
吉田拓郎の歌からタイトルを借りたこの小説は、原田宗典という作家の半自叙伝と、前期高齢者が天才姉弟と織りなす「縁」の物語の混淆である。どんな境遇にあっても希望と親切を忘れない主人公の生き方は、読後に限りなく明るい印象を残す。
※週刊ポスト2025年2月28日・3月7日号