『師弟のまじわり』/ジョージ・スタイナー・著 高田康成・訳
【書評】『師弟のまじわり』/ジョージ・スタイナー・著 高田康成・訳/ちくま学芸文庫/1540円
【評者】山内昌之(富士通フューチャースタディーズ・センター特別顧問)
師弟関係という言葉も当節では耳にすることが少なくなった。それでも、その関係の本質的な意味と性格は現在でも残っている。
師弟関係は、ミシェル・フーコー的な権力論に立てば、人を教え導くという行為が、公のものであれ私的なものであれ、権力関係の下における訓練につながるのだ。師は権力を手にしており、弟子に賞罰を与えることもできる。そのうえ、弟子を破門にすることもできるが、跡取りにすることもできる。
しかし、稀代の文芸評論家スタイナーは、そのまじわりを一方的な関係としてとらえず、三つのシナリオや類型に大別する。まず師匠は弟子をつぶすことがある。それも精神的にばかりでなく、ときとして身体的にも破壊してしまう。弟子は、夢や希望を失い、師への献身や信頼もたんに利用されて終わるというのだ。
これとは反対に、弟子が師匠の足をすくい、生徒が先生を裏切るケースもある。かつての弟子が学長になろうものなら、時にかつての師を冷徹に無視するだけでなく、傲岸にも解雇することさえある。
第三の例は、相互信頼の上に成り立つうるわしい関係にほかならない。真の意味で相互に感化しあう関係を成立させて、友情を生み出し洞察力を深めあう関係である。著者は、この例としてアルキビアデスとソクラテス、現代ではアーレントとハイデガーの関係を挙げる。
しかし、優秀な知性と挑戦的なやる気をもった若者は、もっぱら自然科学に進み、他の分野にはほとんど行かないと著者は指摘する。私もこれにほとんど賛成だ。コンピュータ画面を通して、検査し証明し相互検討する教授法は、精度と明快度と持続力において生身の教師をはるかに上回る。AIが今後ますます発展すると、師弟のまじわりは大きく変質するだろう。
さすがの著者も、AIの登場以前の時代しか知らなかった。新たな師弟像を作るのは、21世紀を生きる、若い世代の課題となるだろう。
※週刊ポスト2025年3月14日号