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2025.03.10 16:00
週刊ポスト
【3.10東京大空襲から80年】日本人“空襲カメラマン”が捉えた被害の実態 心の中で「申し訳ない」と謝りながら撮影、GHQからの提出要求を拒んで守り抜いたネガ
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4月14日撮影。荒川の尾久警察署前で乾パンが配られる様子 (撮影/石川光陽)

3月10日撮影。浅草で、わずかな家財を大八車に積んで移動する家族 (撮影/石川光陽)

3月10日撮影。手前から警視庁得剛館、陸軍経理部の焼け跡、国会議事堂 (撮影/石川光陽)

光陽氏の写真集『東京大空襲の全記録』(1992年刊)を持つ次女・石川令子さん(撮影/中庭愉生)

3月10日撮影。浅草で、わずかな家財を大八車に積んで移動する家族 (撮影/石川光陽)

3月18日撮影。深川の富岡八幡宮で、昭和天皇が被災地を視察された (撮影/石川光陽)

5月29日撮影。焼け跡が広がる矢口付近、バラックで営業する長谷川理容館営業所。張り紙には「簡易理髪店/何時もキレイでサッパリと/飛行機増産出来る様/頭と顔は引受けた/負けちゃゐないぞ俺達も」と書かれている (撮影/石川光陽)

石川光陽(いしかわ・こうよう)/本名・石川武雄、1904年生まれ、1989年没。長野県で写真館を営み、22歳で警視庁に入庁。退職まで36年にわたり撮影担当を務めた
