『評伝 南京戦の指揮官 松井石根』/早坂隆・著
【書評】『評伝 南京戦の指揮官 松井石根』/早坂隆・著/育鵬社/2200円
【評者】岩瀬達哉(ノンフィクション作家)
東京裁判で絞首刑となった7人のA級戦犯のひとり、松井石根元陸軍大将は「中支那方面軍司令官」として「揚子江流域の中心都市として栄えた南京」を陥落させた。南京を占領後、戦災にあった「不幸な市民を保護する義務」を怠り、日本軍による「三十万人虐殺」を黙認した、というのが死刑判決の理由だった。
「大虐殺を指示した首謀者」として「日本のヒットラー」とも称される松井だが、実際は「日本陸軍きっての『日中友好論者』」で、「新生中国の実現」を希求し続けた「対中関係のスペシャリスト」であった。著者は、当時の将官たちの陣中日記、回想録、外交文書などを驚くべき情熱で渉猟。戦闘直後の軍規の乱れから生じる略奪や強姦を禁じる命令を松井が出し、違反者には厳罰を下していた事実を掘り起こしている。
松井は「日本と中国が提携した上で『白人支配のアジア』から『アジア人のアジア』」の再建を「日本に課せられた歴史的任務」と捉えていた。その証言記録のひとつに、松井の通訳官だった岡田尚の東京裁判での宣誓供述調書がある。奇しくもわたしは、約40年前、岡田に会っている。
岡田が明かした戦争秘話のひとつに、南京陥落直後から松井は、蒋介石の国民党政府との和平交渉を進めていた。表向きは蒋介石に厳しい姿勢をとりながら、裏で戦争終結のために、岡田を香港に派遣。蒋介石に影響力のある人物との交渉にあたらせていたのだった。交渉がうまくいきかけた矢先、近衛内閣による「爾後国民政府を対手とせず」との声明が出たことで和平工作は破綻。日本は泥沼の日中戦争から抜け出せなくなっていくのである。
松井の処刑は「『日本軍国主義』の残虐性を表す一つの記号」として、勝者が敗者を裁く戦争裁判において不可欠な要素だった。中国に親愛の情を抱いていた松井が刑場の露と消え、中国を侮蔑していた将官たちが戦後を生き延びたのは、歴史の大いなる皮肉である。
※週刊ポスト2025年3月21日号