にぎやかで豪華だった七代目三遊亭円楽襲名パーティ(イラスト/佐野文二郎)
放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は七代目三遊亭円楽襲名パーティについて綴る。
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演芸界の人ばかりに会ってる気がする。マスコミでも報じられたからご存じの方も多いと思うが王楽が“七代目三遊亭円楽”を襲名。
父は『笑点』の好楽。開宴のあいさつから、父急ピッチで飲み出し、会場を『BS笑点』のカメラひき連れインタビューだという。落語界というのは真打昇進やら襲名披露やらやたらパーティの多い業界だが、これほどにぎやかで豪華なパーティは久しぶり。およそ600人が列席。上座テーブルには木久扇師、文枝師(元・三枝)、小遊三ら。私のテーブルは米助、昇太、私、志の輔、談春ら。一番下の席をのぞけば神田伯山、玉川太福、柳亭小痴楽、桂宮治ら若手人気者がズラリ。
千鳥足でマイクを持った一番嬉しそうな父好楽がナイツ、おぼん・こぼん等にトンチンカンインタビュー。昇太のところへ来て「ねぇねぇ昇ちゃん、今日はいくら包んで来たの」。アハハ。隣の私に肩を組み「ふみおちゃんよく来てくれたネ。去年私の“しのぶ”出てくれたもんねー」だって。
そうこうしているうちに木久扇の息子、木久蔵(本物の与太郎)がニヤニヤしてやってきて、「ねぇねぇ教えて、うちの父88歳になるんだけど“演芸界最長老”って言っちゃっていいの?」(自分で調べて何とでも言え)。そこへもう一人の息子、三平やってきたから「最近笑点で見かけないなァ」と言ったら「そんな事より“今年三平生誕100年”です。もっと吹聴して下さいよ」「知ってるよ、上方の桂米朝だって100年だよ。あっちは人間国宝だぞ」「どうもすいません」だと。(余談ですがこの度出版された『桂米朝が遺した宝もの』という本が写真資料もタップリでいい本)。
米助が志の輔に訊いている。「お弟子さんと一緒にのどの薬飲んでるCMを中山ケンミャクンとマッチとよく見るんだけど、志のさんのもあれはACなの?」。志の輔小声で「リューカクサン」。
円楽党のパーティに立川流が大締め。指名された志の輔「我々立川流も談志という宗教法人から晴れて社団法人になりまして」にドッカーン。いい会だった。
お祝いの次は追悼。昨年亡くなった山藤章二画伯をしのび、ゆかりの深い紀伊國屋ホールで「寄席・山藤亭」。後半トークするは私、小遊三、米助、松尾貴史、立川談春。飛び入りで同じタイガースファン松村邦洋。これもいい会。
数日後お祝いの「小倉久寛古稀ライブ」。三宅裕司(73歳)とのコント5本。ゲストの戸田恵子とフランク・シナトラを歌う小倉。あのフォルムで心は二枚目。
※週刊ポスト2025年3月21日号