『言わなければよかったのに日記』(深沢七郎・著/中公文庫/1987年11月刊)
今年は、昭和元年から数えてちょうど100年の節目。つまり「昭和100年」にあたる。戦争と敗戦、そして奇跡の高度経済成長へと、「昭和」はまさに激動の時代であった。『週刊ポスト』書評欄の選者が推す、節目の年に読みたい1冊、読むべき1冊とは? 作家の嵐山光三郎氏が取り上げたのは、『言わなければよかったのに日記』(深沢七郎・著/中公文庫/814円 1987年11月刊)だ。
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深沢七郎は昭和31年(1956)、『楢山節考』で第一回中央公論新人賞を受賞し、絶賛のなか、衝撃デビューをした。選考委員は武田泰淳、三島由紀夫、伊藤整。ギター弾きをしていた日劇ミュージック・ホール(ストリップ劇場)の楽屋で書いた小説だった。「おりん」という老婆が好きであるというそれだけの気持で書き、映画化されてさらに話題作となった。
二十歳ごろから胸部疾患を病み、右眼を失明し、ギターをひくことによってなぐさめることが深沢さんの青春時代だった。
新人賞受賞の電報を持って、中央公論社の受付窓口へ行けば、賞金の十万円を貰えると思ってハンコを持って出かけると、部屋の中にまで通されてしまった、という話が出てくる。
正宗白鳥の軽井沢のお宅に遊びに行ったとき、池がないので(変だな?)と思いながらドアの前に立った。庭は広く、山の中にあるような高い木があるけれど池がないのは意外だった。ボクはバレーの「白鳥の湖」か「瀕死の白鳥」に関係のある人か、白鳥が好きな人だとばかり思っていたのに。というような話がつぎつぎと出てくる。晩年の深沢オヤカタが暮らすラブミー農場には、私や赤瀬川原平さんなど、子分が集った。畑や家屋は巨大なプレハブの要塞になり、トタン張りの砦だった。
深沢オヤカタの語り口と視点は面白すぎて、何度読んでも笑えます。文章もそうだし、こんなことを書いても面白いんだ、とわかる。右でも左でもない隙間を生きていけるんだというような。
当時流行した実存主義とはなにか、をいろんな人に訊いて廻る話もしびれました。高度成長経済社会の、一種恥かしい空漠感と、所在なさを書く人はいないのにオヤカタは書いちゃう。
どこにも着地しないで、フワフワ浮いているのは、芸術的な行為だけれど、社会的存在としてはカスなわけです。つまり、いまの私がそうです。私は『桃仙人 小説深沢七郎』(中公文庫電子書籍版)を書きました。
※週刊ポスト2025年4月18・25日号