『明治大正史 世相篇』(柳田国男・著 佐藤健二・校注/角川ソフィア文庫/2023年10月刊)
今年は、昭和元年から数えてちょうど100年の節目。つまり「昭和100年」にあたる。戦争と敗戦、そして奇跡の高度経済成長へと、「昭和」はまさに激動の時代であった。『週刊ポスト』書評欄の選者が推す、節目の年に読みたい1冊、読むべき1冊とは? まんが原作者の大塚英志氏が取り上げたのは、『明治大正史 世相篇』(柳田国男・著 佐藤健二・校注/角川ソフィア文庫/1804円 2023年10月刊)だ。
* * *
昭和の始まりに柳田国男が明治大正という終わったばかりの時代を検証し、昭和に持ち越された「宿題」を明示したのが本書である。
柳田はこの国が民主主義を達成する主権者としてはあまりに未熟だとした。刊行されたのは昭和六年、大正デモクラシーの成果としての普通選挙が実施された直後だ。柳田は関東大震災後、国際連盟より帰朝、朝日新聞社の論説委員として社説で普通選挙推進の論陣を張った。この時の柳田の普通選挙論が重要なのは関東大震災で顕になった大衆像を踏まえている点だ。
大正デモクラシーの理念としての「市民」が流言に妄動されマイノリティへの集団虐殺の加害者となった時、彼らを「選挙場に連れ出す」ことのリスクを柳田は正しく危惧した。しかし彼は普通選挙を愚衆政治だと否定するのではなく、自身の学問を「選挙民」育成の学として体系化しようとした。
民俗学はこの国に「近代」、そして民主主義をいかにもたらすかという運動であり主権者としての思考法を学ぶ流儀として構想されたことはかつては自明であったが、今ではすっかり忘却されている。
本書は当初は身体感覚の変遷から歴史を解き始めるが、普通選挙で大きな声や空気に妄動され「個人」でなく「群れ」として投票を行った有権者への怒りが加速していき「われわれは公民として病みかつ貧しい」とまで言い切り終わる。公民とは公権力に唯々諾々の有権者でなく公共性を自ら作り上げていく能力のある「市民」である。だが「群れ」としての有権者は近衛新体制を選挙で選び戦争をも選択した。
昭和一〇〇年を経ても私たちは未だ有権者としては妄動する「群れ」のままである。そればかりか民主主義や近代を嗤う言説と行動が保守や知性として賞賛されさえする「病みかつ貧し」さの中にある。柳田の弟子の一人、角川源義は第二次大戦の敗北はこの国の「近代文化」の確立し損ないに求めたが、さて今の時代の「民主主義のための学問」や書物はどこにあるのか。
※週刊ポスト2025年4月18・25日号