『摘録 断腸亭日乗(下)』(永井荷風・著 磯田光一・編/岩波文庫/1987年8月刊)
今年は、昭和元年から数えてちょうど100年の節目。つまり「昭和100年」にあたる。戦争と敗戦、そして奇跡の高度経済成長へと、「昭和」はまさに激動の時代であった。『週刊ポスト』書評欄の選者が推す、節目の年に読みたい1冊、読むべき1冊とは? 精神科医の香山リカ氏が取り上げたのは、『摘録 断腸亭日乗(下)』(永井荷風・著 磯田光一・編/岩波文庫/1001円 1987年8月刊)だ。
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昭和からの日本人の課題とは何か。ひとことで言えば「個人として生きられるか」だと思う。長く続いた戦争中は個人より国民として生きることを強いられた。戦後は自由が保障されたはずなのに、目に見えない同調圧力に苦しめられ、そして今また「絆」を合言葉に家族、組織、国の一員であることを強いられようとしている。
永井荷風が四十年以上にわたって書き続けた日記『断腸亭日乗』のうち、戦争の色が濃くなってきた昭和十二年からの分をまとめた本書には、どんなときも個人として生きようとした人間の生活や心もようがリアルにつづられている。
昭和二十年三月の東京大空襲で住まいの「偏奇館」が焼失した際は、「昨夜火に遭ひて無一物となりしはかへつて老後安心の基なるや」とうそぶくが、詩集や小説の喪失には「愛惜の情如何ともなしがたし」と落胆を隠さない。戦況が激しくなってもフランスの文学や映画を愛した荷風は、「文学芸術の撲滅」を行えば「日本の国家は滅亡するなるべし」と言い切るのだ。
そんな荷風は、八月十五日の終戦の報に「あたかも好し」として、疎開先の人たちと「祝宴を張り皆々酔う」。その五日後には「とにかく平和ほどよきはなく戦争ほどおそるべきものはなし」と書く。
一貫して世間や国家と一体化することはなく、あくまで個人として生きる荷風は、マッカーサーに面会した時の天皇に同情もする。「余は別に世のいはゆる愛国者といふ者にもあらず、また英米崇拝者にもあらず。惟虐げらるる者を見て悲しむものなり」というあたりまえの人間性を戦時下の生活を通しても失うことはなかったのだ。
ひところ「行きすぎた個人主義」などと言われ、「公を大切に」と唱えられたことがあった。しかし私は、本当の個が確立していないことこそが、昭和から続く日本の最大の問題だと考えている。荷風の日記から「私は個として生きた。あなたはどうか」という問いが聞こえる。私も医師として、個としての患者を大切にしながら、これからも歩んでいきたい。
※週刊ポスト2025年4月18・25日号