『雪の階(上・下)』(奥泉光・著/中公文庫/2020年12月刊)
今年は、昭和元年から数えてちょうど100年の節目。つまり「昭和100年」にあたる。戦争と敗戦、そして奇跡の高度経済成長へと、「昭和」はまさに激動の時代であった。『週刊ポスト』書評欄の選者が推す、節目の年に読みたい1冊、読むべき1冊とは? 翻訳家の鴻巣友季子氏が取り上げたのは、『雪の階(上・下)』(奥泉光・著/中公文庫/880円、946円 2020年12月刊)だ。
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『週刊ポスト』リニューアル前の最終特集なので、日本の近代化、特に昭和以降の歩みを繰り返し検証してきた奥泉光の作品をとりあげよう。『雪の階』は文体的にも、近代日本語のある頂点をなしたと言えるだろう。
作中では、二・二六事件前夜の「もう一つの真実」が浮き彫りになる。男女の死の謎を解くミステリであり、二大戦間の政情を背景にした政治サスペンスであり、日本、ドイツ、ソ連をめぐる諜報ものでもある。
幕開けは、日本が軍需景気にわく一九三五年(昭和十年)。「天皇機関説事件」や、皇道派将校により永田鉄山が斬殺された「相沢事件」が起き、国体明徴声明が二度発せられた。こうした動向が翌年一九三六年の陸軍決起につながっていく。
奥泉が追究してきたテーマおよびモチーフとはなにか? それは、大まかにまとめれば、「歴史の言語化」、「内省的知性」、「主体的自由」ということである。
まず、奥泉光は以前より「歴史を単一の物語に閉じ込めてはならない」ということを述べてきたが、『雪の階』でもそれを実践する。「言語化」=「語る」ことの介在なしに歴史は存在し得ない。何が歴史として刻まれ、何が消失してしまうのか。その恣意性または操作性の危うさ。それは敗戦から復興、高度成長を経験した昭和においてようやく一般にも意識されるようになったことではないか。
奥泉作品がさらに指摘するのは、日本人における内省という主体的意思と自律的思考の欠如ということだ。有権者がSNSや動画配信で容易く扇動される現状を見るに、これは昭和より令和のほうが深刻化しているのかもしれない。昭和(正確には平成二年)の日本人は勢いづくカルト教団の教祖たちを国政選挙で惨敗させるだけの判断力を発揮できた。今、彼らがデジタル戦力をもって選挙に打って出たらどうなるか。
奥泉は主体なき集団を蝟集する鼠に喩えている。社会情勢が混乱を極める今、ぜひ一読いただきたい。
※週刊ポスト2025年4月18・25日号