日本と韓国の間では、戦後すぐには国交が結ばれなかった。両国の国交樹立は1965年のことである。そのとき結ばれた「日韓請求権協定」により、韓国は日本への請求権を放棄する代わりに日本からの投資を呼び込んだ。これは韓国に世界で類を見ない急速な経済成長をもたらす大きな要因となり、日本はその間に高度経済成長を遂げた。
こうした関係のなかで日韓は互いに経済的なパートナーだという意識が生まれた。1998年に当時の小渕恵三首相と金大中大統領が合意し発表した日韓共同宣言(「日韓パートナーシップ宣言」とも呼ばれる)は、その象徴的な出来事である。
実はこの「パートナー」という言葉を日韓が共有すると、厄介な問題が生じる。日本語でパートナーと言えば、末永い共存共栄を前提とすることが一般的である。一方、韓国語のパートナーは、「今のパートナー」というニュアンスが強い。今この瞬間に自分に対して利益をもたらしてくれる存在をパートナーとして囲い込む。だが、自分にとって役に立たなくなれば、それまでの縁をあっさりと切ってしまうというニュアンスが含まれる。
日韓パートナーシップ宣言から約10年後の2008年頃、ソウル在住の日本人駐在員からこんな話を聞いたことがある。
「取引先の韓国企業に行ったら、『何しに来たんだ』という対応でした。自分の会社が成長すれば態度をくるりと変えて、『もうお宅の会社は用無しだよ』と言わんばかりでした」
韓国社会に見られるこうした手のひら返しは今でも健在だ。今年に入って韓国のオフィスを畳んだある日本企業の駐在員は、帰国前にこんなことを話していた。
「最初の頃は日本から出張してビジネスしていたのですが、そのうち共同事業を展開しようというリクエストが韓国企業側からあり、ソウルオフィスを開いたんです。でもそれから十数年たつと、向こうはうちの技術をすっかり習得。うちはもう不要扱いされたので、オフィスを畳むことになりました」
韓国社会はなぜそれまで「パートナー」と認めていた相手との関係を、いとも容易に反故にできるのだろうか。