〈防衛費の将来は、国民の税負担の重さに決定的な重要性を持つものであるが、だからといって、民生の安定をぎせいにしてこの種経費の増加を図ることは、私のとらないところである。国民の経済力にマッチしない再軍備は意味をなさない。ゆたかなとはゆかなくても、うるおいと、ゆとりのある生活が、確保されるのでなければ、腹の底からの防衛が成り立たない。だから、私は防衛関係経費の総額をおさえ、(中略)できるだけ減税を行って、国民の衣食を足るようにしたい〉
GHQとの交渉の過程で池田の思想が培われたことが読み取れる。
人物像はおおらか、酒豪で失言も多かった。この頃の有名な発言に「貧乏人は麦を食え」があるが、実際は、国民に「麦ではなく米」を食わせるために悪戦苦闘していたのである。
池田は蔵相時代、若手の大蔵官僚を誘ってよく飲んだ。その席に、入省ほどない津島雄二・元厚生大臣がいた。津島氏が語る。
「池田さんは大酒飲みでしたが、巷間言われている一升瓶をコップ酒ということはなく、きちんとお猪口で飲んでいた。性格はまさに豪放磊落で決して威圧的なことはなく、楽しい雰囲気でした。
放言については、我々と話しているときも、結構ズバズバ言いたいことを言っていた記憶があります。真面目に本音で政治に取り組んでいるからこそ、公式の場でも本心を口にしてしまったんだと思います」
1960年に首相に就任した池田は、その年11月の総選挙で「月給を2倍にします」と訴えて大勝すると、「国民所得倍増計画」を閣議決定して高度成長へと邁進していく。
※週刊ポスト2020年8月14・21日号