「渡さんが直腸がんで入院した時、渡瀬さんは人知れず見舞いに来ていた。『明日行くので取材して』という事務所もあるけど、一切公表しなかった。渡さんは弟が亡くなった時、報道陣には気丈に振る舞っていましたが、相当塞ぎ込んでいたそうです」(同前)
1995年に阪神淡路大震災が起こると、渡さんは石原軍団を引き連れて炊き出しに出向いた。「東京の暖房の効いた部屋でニュースを見ていることに違和感を持った」という渡瀬さんも参加。5日間、グラウンドに建てたテントに泊まり込み、一人ひとりに声をかけ、約2万3400食を手渡した。
黙って動き、背中で語り合える兄弟。今ごろ2人は笑いながら思い出話に花を咲かせていることだろう。
※週刊ポスト2020年9月4日号