東大の象徴「赤門」は往時のままだが(ともに時事)
根津遊郭を知る貴重な東大生として知られるのが、『小説神髄』やシェイクスピア全集の翻訳で知られる坪内逍遥だ(1883年卒業)。ライターで医師の亜留間次郎氏が語る。
「坪内は文学部政治科の学生時代に同級生に誘われて遊郭を訪れ、遊女・花紫と出会います。3年越しで通いつめ、卒業後にはついに結婚しました。花紫は物静かで気品のある女性だったそうですが、遊郭での仕事が影響したのか子供ができず、二人は後に養女を迎えています。坪内の小説『当世書生気質』には高校生や大学生が遊郭で遊ぶ描写がありますが、当時の学生はそんな生活をしていたのです」
根津遊郭が移転してからは、東大の周辺には当時はやりの「カフェー」ができ、東大生はその女給たちとの遊びに明け暮れたというから、なかなか品行方正に勉学に勤しむという文化は根付かなかったようだ。その実態は『週刊ポスト』に詳しい。
東大キャンパスは今とは少し異なる風情があった(共同)
そんな「当世東大生気質」だったから、戦後まで続けられたのが「M検」だった。これは入学試験の際に男性器を医師が検査するというもので、性病などにかかっている「不品行な人間」を見つけるためだったという。東大にならって他大学でも実施され、前述のように東大が昭和31年に廃止すると、他大学でもなくなった。「M」とは男性器を指す隠語「魔羅(まら)」のことと言われ、もちろん「M検」は正式名称ではないが、学生たちはそう呼んで恐れたり興味を抱いたりしたようだ。どんな検査だったのか記録は多くないが、京都府立医大予科を受験した生徒のこんな体験談が残されている。
<「ここでも着物を脱ぐのですか?」とたづねると、看護婦が「ええ、みんな脱いでくださいね」と、意味深な回答。――諸君、ここで所謂M検こと検毒が行はわれるのです。受験票と尿とを看護婦に渡して、パンツ一まいになります。(中略)なにしろ、側に看護婦ていふ異性が居ますので、恥づかしいのなんのって。でも、検査は極めて簡単です。>
当時の学生たちは今よりも奔放で、そして、今はない苦労もあったようだ。