いいとも青年隊として『笑っていいとも!』(フジテレビ系)に出演、“おバカキャラ”で数多くのバラエティー番組などで人気を集めていた岸田健作(33)。約7年前に芸能界を去ったあと、都内の公園で人知れずホームレス生活を送っていた。現在は芸能界に復帰し、ビジュアル系バンドのボーカルや俳優、タレントとして活動しているが、一時は華やかな世界に身を置きながら、なぜホームレスに“転落”してしまったのか。本人を直撃した。
――ホームレス生活はいつごろ?
岸田:26才のときです。18才でデビューして7年間活動した後に芸能界を辞めまして、その数か月後ですね。
――芸能界を辞めるきっかけは?
岸田:それまでおバカキャラといわれていましたが、キャラクターじゃなくて実際にバカでしたから、そのギャップに戸惑いを感じ始めるようになったんです。電車の埼京線は池袋、渋谷、新宿とか主要な駅ばっかり止まるから“最強”な電車だと思ってたりとか(笑い)。
番組とかで普通にサラリといったことがワッと笑われたときに、なんで笑われてるのかわからなくて。人を笑わすっていうんじゃなくて、単純に笑われてるだけだった。キャラクターではないことに恐怖感を覚えて…。
――恐怖感というと?
岸田:芸能人としてもそうだし、人間としても今後に不安がありましたね。25才過ぎてどんな大人になっちゃうんだろうとか、自分には特別な芸が何も備わってないとか。能力がないのがわかればわかるほど、そんな自分が公共の電波を使っていいのかって。努力して成功したほんのひと握りの人が出られるのが芸能界じゃないですか。『笑っていいとも!』なんかは特に。そんなところに自分が立っていいのかなって。
――都内に実家もあるのに、なぜホームレスに?
岸田:「アルバイトすればよかったじゃん」ってよくいわれるんですけど、アルバイト経験がなかったのでやり方もわかんなかったんですね。初めからホームレスをする場所は代々木公園と決めてたんですが、ストリートダンサーとかミュージシャンとか芸人とかが、将来を夢見て練習しているエリアがあったんです。芸がないコンプレックスを持った自分が、そういう人の姿を見て何かすごく刺激を受ける場所なんじゃないかなって思ったんです。お金がないだけなら実家に帰れば済む話じゃないですか。そこを選ばなかったっていうのは“あえて”です。
――実際ホームレスを経験してどうでしたか?
岸田:もう過酷でしたね、すごく(笑い)。季節は夏でしたけど、冬だったら死んでましたね。
――どんなところがつらかった?
岸田:食べ物とかはゴミ箱あさったり、人からお金を恵んでもらったりしてしのいでいました。でも、自分にとってはそれよりも、芸=“生きる糧”がないってことが何よりつらかったですね。自分が本当にやりたいことが見つかんなかったら、ずっとホームレスを続けるか死のうと思ってました。生きてる意味がないなって。もし、ホームレスやった初日にお笑い芸人を見て「あ、芸人になろう」って感じでやりたいことが見つかれば、1日でホームレスやめてたと思います。
――あさった食べ物を食べて体調は大丈夫でしたか?
岸田:一回だけ、ゴミ箱あさって出てきた変な弁当食べたらあたってしまって立てないぐらいお腹が痛くなっちゃって。紅しゃけ弁当で、においとかは全然大丈夫でしたけど、酸味がきいた味はしたなぁと。
――所持金はいくらあったんですか?
岸田:財布は一応、持ってました。最初2、3千円ですね。ホームレス生活をあがった時には、数百円…。
――食べ物やお金がないときはどうしてたんですか?
岸田:通行人に「100円でもいいから恵んでください」とか、「お財布落としちゃったんで」とか。無視されることもよくありましたけど、ぼくは失うものが何もないんで、そんなにつらくはないです。声かけて自分の顔が割れることもあったんで、「何やってんの?」って感じでいわれるほうがきつかったですね。
――体を洗うのはどうしてたんですか?
岸田:暮らしをするっていう感覚も正直なかったんで。体を洗うとか、着替えがとかっていってられないじゃないですか。だから最悪、服があまりに汚くなったり、体かゆくなったらトイレとかで服を洗って干して…。
――ほかのホームレスとの交流はありましたか?
岸田:特になかったですね。代々木公園のゴミ箱って、昼時とかの廃棄物が多くなる時間にホームレスの人が多くなるんです。縄張りとかあるのかなぁ? シッシッみたいにされましたね。
――ホームレス生活をすることに両親は?
岸田:親にはいってません。家を出て代々木公園に来る前に、荷物を置かせてもらいに実家に一泊して、ボストンバッグにTシャツ1、2枚とスウェットと手ぬぐいと毛布かなんかを入れて、そのまま次の日から代々木公園。親は最近、テレビで知ったみたいです。「なんであんたいわなかったの?」って。「代々木公園に住んでるんだったら、いってくれれば、おにぎりとか差し入れしたのに」っていわれました(笑い)。
ホームレスというと、収入がなくてしょうがなくなる悲惨なイメージがあるんですけど、ぼくの場合はホームレスを悲惨なことだとも思ってなくて、多分ホントのバカだったからできたんじゃないかと思います。世間体も気にしないし。自分が本当にやりたいことって、それが見つからないと死んじゃうっていう状況に立たされたほうが何か見つかるんじゃないかって思って。
――ホームレス生活は2か月だそうですが、痩せました?
岸田:痩せましたね。55kgぐらいから48kgぐらいに。食べないから食も細くなって、朝はフラフラしましたね。いまは52kgぐらいです。人にこの体験を話すと「たった2か月か」とかいわれるんですけど、半端じゃないですよ。実際1年やったら死んじゃいますよ。冬超せないです。お金もないし、食うもんもないし、あげくぼくは生きる糧もわかんない。先の見えない生活は辛い日々でした。時間の問題ではなく、いまを生き抜くことに命がけで、1日でも精神的に参ってしまうような体験でしたね。
【岸田健作(きしだ・けんさく)】
1978年11月8日、東京都出身。1997年から3年間、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)のいいとも青年隊として活動。その後も同番組の月曜レギュラーのほかテレビドラマやバラエティー番組に出演。現在はビジュアル系ロックバンド『Kensaku Kishida en V』のボーカルを担当。1月、2月にはライブも行う予定。2011年11月に公開された初主演映画『COOL BLUE』をはじめ、俳優やタレントとしても活動中。
撮影■矢口和也