舛添要一氏といえば、表の顔は、議員職を辞めた後も頻繁にメディアに登場し、元厚労相という経歴や母を看取るまでの介護体験を活かして社会福祉問題に鋭く切り込む論客。一方、私生活では“艶福家”としてよく知られている。現在の夫人は3人目の妻で、2人の愛人が産み認知した子3人と実子を合わせると、舛添氏には実に5人の子供がいる。
50代後半の元愛人A子さんが舛添氏の子供を産んだのは1988年。舛添氏が認知したのはそれから2年ほど経ってからで、以来、扶助料の支払いだけが唯一の繋がりだった。
そんな中、昨年4月、およそ22年ぶりに舛添氏からA子さんのもとに弁護士名で1通の手紙が送られてきたという。A子さんの知人がいう。
「内容は『自分の年収が激減している。子供も自立したのだから、月額22万円の扶助料を減らしたい』という通告だったそうです。子供を認知した後は、子供が学校でイジメに遭おうが、病気で入院しようが、舛添さんからは電話の1本もなかったので、A子さんらはとても驚いたそうです」
減額の要請は不誠実ではないかと感じたA子さんは通告を拒否。すると舛添氏サイドはすぐに調停を申し立て、昨年6月に家庭裁判所で審判が始まったという。
「そもそも減額の理由が全然納得できるものではないんです。舛添さんは当時、現役の国会議員で安定した収入があったはずなのに、それが突然、収入が激減したという。不審に思ったA子さん側の弁護士が、調停の過程で舛添氏の確定申告などを調べたところ、2011年に競馬関連で800万円の損害を出していたことがわかったそうです」(同前)
A子さん側はそのことを調停で質した。すると、舛添氏側は、「エリザベス女王杯というものがある通り、競馬は国際関係の研究・勉強に資するものです」と答え、それにはさすがに調停員も失笑したという。
そこで本誌も舛添氏の議員時代の所得等報告書を確認してみると、2011年の収入が約1900万円、2012年が約1700万円。たしかに少し減っているが一般庶民の感覚からは羨むばかりの高所得である。