20年以上前に遡る1991年、韓国と日本が歴史認識をめぐって法廷で争うという、現在を予見するような異色長篇小説が刊行された。本誌で「逆説の日本史」を連載中の作家・井沢元彦氏が書いた『恨の法廷』である。井沢氏はこの作品で、韓国の反日の根底には、「恨」の感情があると喝破したが、なぜ中国には「恨」を持つことはないのだろうか? 井沢氏が解説する。
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歴史的に見て、朝鮮民族に対してもっとも屈辱を与えてきたのが中国であることは言うまでもない。辛うじて国家と民族の存在は許されても、臣下扱いされてきた時代が長いからだ。だが、韓国が中国に対して「侵略の罪を反省しろ」と強硬に求めることはほとんどない。事あるごとに、日本を批判するのとは対照的だ。その差はいったいどこからくるのか──それも『恨の法廷』の論点のひとつだ。
〈それは、客観的に見るならば、事大主義による差別意識でしょうな〉
台湾人学者が説明を始める。
〈(事大主義とは)朝鮮の伝統的外交政策です。大に事えるから事大。この大というのはむろん中国のことなのだが〉
〈つまり中国は韓国の上位にある国だったから、そこから侵略されても、ある程度仕方がないとあきらめる。しかし、日本は韓国より下位の国だ、だから侵略されると腹が立つ。上司になぐられても我慢できるが、家来になぐられると腹が立つ、とまあ、こういう心理でしょうな〉
〈そういう心理の証拠がありますな。壬辰倭乱(文禄、慶長の役。1592~98年)ですよ。確か、韓国では、豊臣秀吉の侵略をこう呼んでおりますな〉
そこにはどういう意味があるのだろうか。台湾人学者が解説を続ける。
〈乱とは『反乱』の意味で、ここには『本来家来であるべきものが』という意識が込められている〉
〈しかし、当時の日本は中国に朝貢もしていないし、まして韓国との関係は純然たる独立国の関係だ。だからいくら腹が立ったとはいえ、『乱』という言葉で呼ぶのはおかしいですな〉