医療法人徳洲会グループ創設者・徳田虎雄前理事長の元側近で、徳洲会の「暗部」を知る男、能宗克行容疑者(57)は業務横領容疑による逮捕前、ジャーナリスト・青木理氏に徳田氏の「変節」を語っていた。徳洲会の内幕を描いた『トラオ 不随の病院王 徳田虎雄』(小学館文庫)の著者でもある青木氏がレポートする。
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能宗の回想によれば、最初に異変を感じたのは2005年、徳田の次男である毅がはじめて出馬した衆院選でのことだった。全身の神経が蝕まれるALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して数年経っていた徳田は、すでに全身不随の状況になっていた。能宗の話。
「最初におかしいと思ったのは、あの選挙です。理事長と徳洲会のために尽力してきてくれた方が、理事長の勧めもあって亀井(静香)先生の国民新党から出馬したのに、徳洲会は毅さんの選挙運動に集中して、きちんと支援もしないまま落選させてしまった。
以前の理事長なら、そんなことは絶対にありませんでした。息子の意向なんかお構いなしに同志を全力で支援したはずです。でも、同志を見殺しにし、かわいい息子に肩入れしてしまったんです」
以後も能宗の眼には、徳田が変節してしまったとしか思えぬような出来事が相次いだという。
最近では、新たな病院建設の業者選定をめぐって能宗と次男・毅の動きが衝突したことがあった。能宗は徳洲会の恩人だった政治家のために動いていたのに、徳田は能宗の振る舞いを強く叱責した。徳田はつねづね「ファミリーに財産は残さない」と公言していたのに、徳洲会グループの関連会社にファミリーが役員として座るようになり、医療法人としての徳洲会を息子や娘に継がせようという話までが公然と語られるようになった。
挙げ句の果てには、ファミリー内で起きたいさかいの責任まで押しつけられるようになったと能宗は振り返る。
「家族が大切な気持ちは分かりますが、むかしの理事長はそのあたりのバランスが絶妙だったんです。ファミリーだけに肩入れするようなことは絶対になかった」(能宗)
だが、徳田が変節したのはなぜだったというのか。能宗の話を続ける。
「無理もないんですが、やっぱり病気のせいだと思います。元気だったころの理事長は回遊魚みたいな人で、じっとしているということができず、必ず現場を走りまわって判断してきました。
現場にいって、頭で考えていたことと違うと思ったら、まったく違う結論を出す。五感で判断するのが理事長の真骨頂で、その判断感覚が抜群だった。でも、(ALSという)病のために動けなくなって、頭で考えざるをえなくなった。そうすると、家族のことなんかが気になるようになったんでしょう」