「アドラー心理学」が注目を集めている。アドラーの思想を対話形式でまとめた『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健 著/ダイヤモンド社)は22万部を突破。本の帯には、人気作家・伊坂幸太郎氏が「最後にはなぜか泣いてしまいました」と言葉を寄せている。フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称されながら、日本であまり知られることがなかったアドラーに、なぜいま、多くの人々が惹きつけられているのか。著者の岸見一郎氏に聞いた。
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――なぜ、アドラーが注目を集めているのでしょうか?
岸見:私は1989年にアドラーに出会いましたが、これまで、注目されることはほとんどありませんでした。ところがこの本が幸い大きな反響を呼んで、色んな方から手紙などをいただくようになっています。アドラーは「すべての悩みは対人関係の悩みである」と言っています。「空気を読む」「KY」などといった言葉が一般化し、SNSが広がり、人間関係が多様化しているいま、アドラーは新しい処方箋の一つになっているのかもしれません。
ただ、アドラーは、決して意外なことを言っているわけではないのです。どちらかというと、多くの人がすでに知っているようなこと、疑問に感じているようなことを、言葉にしている。だから、驚きはあるけど、未体験の思想ではありません。アドラーを知ることは「腑に落ちる」体験であり、だからこそ重く残るのだと思います。
――アドラーの教えは、仰るように、見知らぬ概念ではないけれど、一般の常識を覆すようなところもあります。たとえばアドラーは「承認欲求」を否定します。いま、人に認めてもらえるよう頑張っている人も多いように思うのですが、なぜ否定するのでしょうか。
岸見:たとえばフェイスブックの「いいね」ボタンは、承認欲求の権化のようなものですね。私もフェイスブックを使っていますが、「いいね」をもらうために、人に迎合するような記事を書くのはおかしいと思う。あるいは、本当はいいねと思っていないのに、周囲に流されたり、書いた人に嫌われたくないと思って「いいね」ボタンを押すのもおかしい。人に認めてもらいたいという気持ちは当たり前の感情だ、と言う人もいますが、当たり前(=usual)だから正しい(=normal)とは限りません。みんなが言っているから正しい、というわけでは必ずしもないように。
他人にヘンな人と言われたからといって、その人がヘンな人になるわけではありません。逆に、良い人と承認されたから良い人になるわけでもないでしょう。それなのに、他人の評価ばかりを気にしていると、他人の人生を生きることになってしまうのです。また、承認欲求は無責任にもつながります。承認欲求に沿って行動をしていると、上手くいかなくなったときに「親が言ったから」「上司が言ったから」と言い訳ができてしまうから。
アドラーはただ「自分の信じる最善の道を選べ」といいます。それに対して他者がどんな評価を下そうと、それは自分にどうしようもないことで、自分の問題ではないと。そういう意味ではアドラー心理学は責任逃れを許さない、キツイ思想でもあるのです。「劇薬」と言われるゆえんです。