ロンドンで大ヒットしたミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本版が公演されるにあたり、すべてのキャストがオーディションで選ばれるというのは1980年代半ばの商業演劇の世界では大ニュースだった。1987年の日本初演で主役のジャン・バルジャンを射止めた役者の滝田栄が語る言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
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滝田栄は1987年、帝国劇場のミュージカル『レ・ミゼラブル』で主役のジャン・バルジャンを演じている。これは、ブロードウェイのプロデューサーであるキャメロン・マッキントッシュが自らオーディションしてキャスティングが行われた。
「当時はまだ家康を引きずっていて、今さら順番を待ってのオーディションは嫌でした。でも、ホテルの一室を用意して、そこに向こうのスタッフと個人的に会わせてくれるということで、受けることにしました。
詩人の岩谷時子先生から『オーディションというのは顔を見せに行くんじゃない。完全に表現できるようにしてどこでも歌える、それが当たり前だからね』と言われて練習して臨みました。当日は正装していったのですが、演出家のジョン・ケアードに『あなたは美しすぎる。ジャン・バルジャンは二十年も牢にいた男だ。秋にもう一回来るから、その感じを見せてほしい』と言われまして。
当時は八ヶ岳で農業をしていたので、秋まで農作業しながら髪も伸び放題、肌も焼け放題のままにしました。それで最終審査に臨んだら、みんな綺麗な服装をしている。それを見て『勝った』と思いましたね。
審査で『アリア』を歌ったところ、キャメロンに『次にあなたと会うのは帝劇の幕が開く時です』と言われたんです。それから一年かけて岩谷時子先生と歌いながら、一行一行、本当に歌える言葉か繋げて訳して、さらに稽古で一年かかって、三年目にようやく幕が開きました」
『レ・ミゼラブル』は大好評となり、滝田は2001年に怪我で降板するまで、14年も舞台に立ち続けることになる。