南京大虐殺や靖国参拝など、中国は歴史認識に関する国際情報戦において、これまで日本を圧倒してきた。その中国が次に狙う標的こそ、本丸の「尖閣諸島」である。国際政治の専門家である浜田和幸・参議院議員は、「日本人の知らぬ間に情報戦は始まっている」と警告する。
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今年6月に北京の清華大学で開催された「世界平和フォーラム」という国際会議に参加したとき、中国側の尖閣諸島に対する並々ならぬ意欲を感じさせる出来事があった。
私は日中関係をテーマにした分科会に、早大元総長の西原春夫氏や新潟県立大学学長の猪口孝氏らとともに参加したが、ここに清華大学現代国際関係研究院副院長の劉江永氏がいて、目を疑うような資料を提示してきた。
彼が見せたのは、1971年8月29日発行の沖縄の地方誌『群星』第1期(沖縄通信社刊)に掲載された伊澤眞伎なる女性の証言文書の写真である。
そこには1891年に尖閣諸島を最初に発見したのは彼女の父親である伊澤弥喜太であり、島の発見時に弥喜太は洞窟の中で中国の服を着た遺体2体をみつけたとし、尖閣諸島に中国人が先に渡っていたのは明らかだと書かれている。
そのうえで、眞伎は「日本は、戦争に負けたとき台湾と一緒に奪い取った島々を中国に返すと約束しているのですから、尖閣列島は当然、そのもとの故郷中国に返さなければなりません」と、中国に返還すべきと主張している。
日本政府の公式見解では、尖閣諸島は1884年に福岡県の実業家、古賀辰四郎が発見し、日本政府は約10年にわたって領有状況を調査し、いずれの国にも属していないことを慎重に確認したうえで、1895年に沖縄県に編入したとされている。古賀は政府から島を無償貸与され、鰹節工場やアホウドリの羽の加工場を営んでいた。
しかし、この証言文書では、発見者は伊澤だったが、開発資金を古賀が出資したため、島嶼の権利は古賀に帰属したとある。実際に尖閣の開発事業を担ったのは伊澤だという。その娘が、尖閣は中国に返すのが筋だというのである。
そもそもこの証言文書が本物なのかは定かではない。なにしろ、この証言文書に記された伊澤眞伎の署名が「井沢」と誤記されているほどである。代筆による誤記とのことだが、そもそも代筆では署名の意味がない。
仮に本物だとしても、第一発見者だからといって島の領有権をもつわけではない。島を中国に譲る権利はなく、あくまで一つの主張である。