日本映画の黄金期を支えた二枚目スター、俳優の宝田明はタイプの異なる様々な作品に出演し続けた。初主演映画『ゴジラ』での特撮ならではの芝居の苦労や、成瀬巳喜男監督作品で共演した女優、高峰秀子にかけられた言葉についての思い出を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
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宝田明の映画初主演作となったのが、1954年の東宝特撮作品『ゴジラ』だった。
「会社からは『これは東宝が社運を賭けて作る映画で、もし当たればシリーズ化したい』と言われていました。さらに、『我々日本人は広島・長崎で核の脅威に遭って、それが忘れられかけた時に第五福竜丸の被曝があった。これは、そんな日本人が世界に向けて発信するメッセージとなる作品だ』とも。
撮影は手探りの状況でした。特撮と本編の部分を別々に撮影していたので、僕らは円谷英二さんの絵コンテを見ながら演技していました。ゴジラの向きによって、僕らのリアクションも違ってきますから。
初めてゴジラが撮影所を歩いた時は、怖くて触れませんでしたね。でも、初号の試写でゴジラが白骨化して海の藻屑になって消えていく様を見ていると、彼も単なる破壊者ではなくて、核による被害者の一人なんだと思えました。
被曝して放射能を吐く体質になったのは人間のせいなのに、今度はオキシジェン・デストロイヤーによって葬り去られてしまう。この人間の業を思うとゴジラがかわいそうで。同情を禁じ得なくなって、涙が止まりませんでした。そういう社会状況を背景にした作品だったので、単なる怪獣映画になりえなかったんだと思います」
宝田は成瀬巳喜男監督の作品にも数多く出演している。『放浪記』で演じた高峰秀子扮するヒロインの夫役も、その一つだ。