1985年の日本シリーズで9併殺を奪い、阪神タイガースの日本一を支えた二遊間コンビは、遊撃手の平田勝男氏と二塁手の岡田彰布氏だった。岡田氏には強打者としての印象が強いが、1985年にはダイヤモンドグラブ賞も受賞している。二塁手とは元来、打撃よりも守備が重視されていたのが、「1985年の阪神優勝によって流れが変わった」と岡田氏は指摘する。以下、岡田氏による二遊間論である。
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プロになって初めて二塁を守ったが、二遊間は守備機会が一番多い。バントシフトやカットプレーをはじめ、走者が出ると牽制やゲッツーなど二遊間が必ず絡んでくる。守備で「やること」が多いので守りに重点が置かれていた。
ベンチも一塁手と三塁手は打って、二遊間は堅実に守ってくれればいいという考えだった。オレの時代も二塁手の打順は1番か2番が定番。送りバントなど小技のうまい選手が多かった。篠塚和典、高木豊、正田耕三、大石大二郎といった打撃のいい選手でも、走者を返すよりチャンスメイクをする役割だった印象が強い。
それが少し変わったのが、阪神が日本一になった1985年だった。二塁手のオレも掛布雅之さんやバースと中軸を形成し、甲子園バックスクリーンへの3連発が象徴しているように攻撃力を重視した守備配置を敷いていた。
星野阪神がリーグ優勝した2003年も似ていた。オレは内野守備コーチをしていたが、中堅手に俊足で守備範囲が広い赤星憲広がいたこともあって、星野監督は二塁手に今岡誠を起用した。今岡は12本塁打と首位打者で優勝に大きく貢献した。今岡は二塁手タイプの選手ではなかったが、前年15本打った打撃力を期待されての起用だった。
ただオレは監督2年目の2005年にその今岡を三塁手にコンバートした。守備の負担を軽減させてやるためだった。二塁手の経験があるオレとしては、今岡の打撃を活かすためには二塁守備が障害になると考えた。結果、打撃に集中できた今岡は打点王に輝いてリーグ優勝に貢献してくれた。これもある意味、攻撃力重視の守備配置といえる。