【著者に訊け】澤田瞳子氏/『若冲』/文藝春秋/1600円+税
幸せな絵では決してない。しかしなぜか見入らずにいられない奇想の画家・伊藤若冲(じゃくちゅう)の作品から、澤田瞳子著『若冲』は生まれた。
「18世紀の京都で円山応挙と並ぶ人気を集めた若冲は、特に2000年の大回顧展以降、命の喜びを謳うとかでポジティブに再評価され、一気にブレイクした。でもあの筆致や色彩感覚といい、本当にそれだけ? そんなに明るい絵? って、ずっと違和感があったんですね。そこで彼の絵や史実の間を物語で繋いだのがこの小説で、『どこまでが事実?』って、よく聞かれます(笑い)」
京の台所・錦小路。かつての錦高倉市場で青物問屋枡源を営む家の長男に若冲こと4代目源左衛門は生まれ、人気絵師として没するまでの84年の生涯を、本書では8編の連作に切り取る。
彼が絵に没頭した背景には妻〈お三輪〉の自死やその弟で後に絵師・市川君圭となる〈弁蔵〉との確執があり、自責の念から壮絶さを増す画業を妾腹の妹〈お志乃〉は黙々と支えた……。と、〈 〉内は氏の創作だが、時に優れた嘘は事実以上に真実に肉薄することがある。
「生涯独身の若冲に自殺した妻がいて、その弟が市川君圭って、若冲ファンには怒られそうですけど(笑い)。ただ当時は過去帳にない人がいてもおかしくないし、元々この物語は若冲の晩年の様子を書いた当時の雑文に、『石峰寺の隠居所に尼の姿の妹と男の子がいた』という記述を見つけたことに始まってます。
40で隠居した彼の身辺を早世した三男の嫁が世話したという説もある一方、この男の子が誰かはわからない。そこで先代の庶子・志乃と君圭の息子〈晋蔵〉が若冲と仲良く暮らす光景が浮かんだんです」
2010年の『孤鷹の天』以来、歴史小説に新風を吹き込む氏は京都出身。大学院では古代史を学び、「歴史に関わり続けたくて小説を書き始めた」彼女は、とかく美化されがちな若冲の生涯を、1人の人間として描き直す。
「この本自体、表紙の『紫陽花双鶏図』を見てジャケ買いする読者がいる一方、緻密すぎて気持ちが悪いと言う人もいる。なぜ良くも悪くも彼の絵に心が騒ぐかといえば、私たちの中にも似たような懊悩や葛藤があるからだと思うんです。
と同時に私は、円山応挙や池大雅、与謝蕪村や谷文晁といった絵師が活躍し、裏松光世ら禁中の尊皇派が宝暦事件で追放された世紀の京都を描きたかった。実は京都の近代化は若冲たちが生きた時代に始まっているとも言え、たとえば宝暦事件が後の尊王攘夷運動に繋がり、洛中の大半を焼いた天明の大火(1788年)が今の京都を作った。つまり当時は現代に続くゼロ地点だったわけです」