とにかく「訴え」が多くなったニッポン。麗澤大学教授で法学者の八木秀次氏は、市民活動家が起こす訴訟について言及した。
* * *
リベラル系の市民活動家らは、靖国参拝から海外派兵、米軍基地、慰安婦まで、何かあるたびに国を相手取って裁判に訴えようとする。特に今、乱発されているのが、原発の再稼働差し止め訴訟である。脱原発弁護団全国連絡会のサイトによれば、福島の事故以降、全国各地で39件も提訴されているという。
そんななかで、福井地裁は昨年5月に大飯原発の再稼働差し止め判決を出し、今年4月にも同じ裁判官が高浜原発の再稼働差し止めを決定した。
しかし、原発の安全審査は、原子炉や活断層の研究者で構成される原子力規制委員会が、科学的知見に基づいて実施している。一方、裁判官は常に数百件の裁判を抱えているので、自分で調べたりはせず、原告の資料と被告の反論資料を付き合わせて判断するだけである。高浜原発は規制委が再稼働を認めていたが、その判断を裁判官が覆すというのは合理的と言えるのだろうか。
法学の世界には統治行為論(*)という考え方があり、裁判所の判断が馴染まない問題については、判断しないという選択肢もあるはずだ。一部の市民活動家の主義主張で、国のエネルギー政策が左右されていいはずがない。
【*高度な政治性を有する国家の行為については、司法審査の対象にならないとする理論】
こうした希有な判決は、最高裁でひっくり返るケースがほとんどだが、市民活動家らはそんなこと百も承知である。どこかの地裁で都合のいい判決が出ることを期待して訴訟を起こす。残念ながら、地裁レベルでは、こうした政治運動に同調するような裁判官も希に存在するのである。