京セラ、村田製作所、任天堂などに代表される京都企業は、その土地柄からか独創性に富み、自由闊達な人材育成で名経営者も数多く生まれてきた。
先日は任天堂の“天才プログラマー”、岩田聡社長(55)の突然の訃報を惜しむ声が国内外から多数寄せられたが、7月14日、また京都企業の重鎮が一人この世を去った。計測機器メーカー、堀場製作所の創業者である堀場雅夫氏(最高顧問・享年90)である。
堀場製作所は同氏が京都帝国大学理学部に在学中の1945年に設立された。当時は皆無だった学生ベンチャーの先駆けだ。
同社は今でこそ自動車向け排ガス測定器メーカーとして世界中でその名を轟かせる存在になったが、創業当時はビジネス拡大のために金策に走り回る日々が続いたという。
2011年10月に行った週刊ポストのインタビューで、堀場氏はこう振り返っている。
「大学では原子核の研究をしていたのですが、終戦後に米軍が兵器の開発につながると思ったのか、大学にやってきて実験に使う機器をすべて持ち去ってしまいました。そこで好きな研究を続けるために、京都市左京区の小さな民家で『堀場無線研究所』(堀場製作所の前身)を立ち上げました。
ここでは電気製品に使われる『電解コンデンサー』を自分で開発し、大手家電メーカーから注文も取ったのですが、いかんせん量産する工場もありませんでしたし、資金もない。
金策に駆け回ってようやく大阪の中堅機器メーカーから出資の約束を取り付けたと思ったら、今度は朝鮮戦争が始まって金属価格が高騰。結局100万円の借金を背負う羽目になってしまいました」