「信仰」をテーマに、社会学者・橋爪大三郎氏と元外務省主任分析官・佐藤優氏が対談してきた当連載。今回は、一神教世界から見た「日本人のふしぎ」を主題とする。
橋爪:民主主義や市場経済など現代の社会を理解するにはキリスト教の知識が欠かせません。しかし日本では、キリスト教もふくめた一神教についての基本的な知識が根づいていないようです。
佐藤:後藤健二さんがイスラム国に殺害された事件でもそうでした。あの事件を理解する上で、私は後藤さんがクリスチャンだったことがとても重要だと考えています。しかし日本のメディアはキリスト教だけではなく、一神教についての理解が不十分だから、自分たちが分かる世俗の論理に落とし込もうとしました。
テレビ局は戦場には記者を出さないで、フリージャーナリストが撮影した映像を高く買います。だから後藤さんは金のためにやっていたのではないか。あるいは功名心が動機だったのではないか、と。
橋爪:一神教では、人間は神の前で正しければいいから、ほかの人間の評価は気にしません。そもそも一神教では神が人間を一人ひとり個別に手造りしていると考えます。
たとえば、ジョンという子どもが生まれたとします。その子は名付けられる前から個性あるジョンです。カトリックは、受精の瞬間にジョンはジョンになったと決めた。その瞬間に神の手が働いたのです。すべての人びとは神のおかげで存在している。神が主で人間はその僕である。ジョンだけでなく、リチャードもメアリーも……。
ジョンは神の意思に従って正しく生きていく。そしてジョンは、リチャードにはリチャードなりの、メアリーにはメアリーなりの生まれた理由があるわけだから、神の意思に従ってそれぞれが自分なりに生きるべきだと考える。