創設100年を迎えた山口組に亀裂が走った。司忍(本名・篠田建市)組長体制に反旗を翻した反主流派の傘下団体組長らが、袂を分かって新組織の結成に動いたのだ。
過去にも山口組には分裂に伴う激しい抗争があった。1984年、竹中正久・四代目山口組組長の就任に反発した山広組の山本広組長ら幹部が脱退し、一和会を立ち上げた。
翌1985年、竹中組長と中山勝正若頭が一和会系のヒットマンにより射殺。組織のトップとナンバー2が同時に殺されたことで、山口組は即時報復に転じ、抗争が勃発。全国各地で317もの抗争が発生し、双方で25人の死者を出す「山一抗争」へと発展した。
この事件では、市街地でも襲撃が行なわれ、民間人も流れ弾に当たるなどの被害も出ている。
「関わる人数だけでいえば今回は山一抗争の倍以上の規模になる。報復合戦になれば、全国で抗争が起こり民間人も巻き添えになるケースもあるだろう」(捜査関係者)
ここであらためて、「山口組100年の歴史」を年表で振り返ってみよう。