東京大学理科三類に息子3人を入れた母親の記事が話題を呼んでいる。大半が批判のようだ。なぜこの記事に人はイライラさせられるのか。コラムニストのオバタカズユキ氏が考える。
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9月12日に投下された〈息子3人を東大に入れた佐藤ママ「受験に恋愛は無駄です」〉というタイトルの記事。
配信元である朝日新聞出版の「dot.」というWebマガジンの元記事サイトだけでも、約1週間すぎた今現在、1.2万ツイートのカウンター表示になっている。フェイスブックのおすすめ数は2.6万。とてつもない。
しかし、話題に話題を呼んだこの記事の評価の大半は批判だ。バッシングや罵倒といえるものも多い。例えば、こんなふうにである。
・これは教育ではなく虐待だ
・東大合格が人生のゴールという旧世代の価値観で久しぶりに呆れた
・子どものため子どものためと自分のエゴを押しつける毒親にしか見えない
息子3人を灘中・高校から東京大学理科三類(医学部)に合格させたママ、佐藤亮子氏はなぜ炎上物件となったのか。
四谷大塚のデータによると、灘中の入試偏差値は東京の筑波大駒場と並んで74。中学受験界では日本一合格の難しい学校だ。ちなみに東大合格者数ナンバーワン校として知られる開成中の偏差値は72である。
東大理三のほうは、河合塾の前期日程の偏差値で72.5。京大と阪大の医学部医学科も同じ日本一の偏差値を記録しているが、それぞれの一学年定員は100名ほどしかない。文系で日本一合格が難しい東大の文一(≒法学部)の偏差値は70.0で、定員は約400名だ。それと比較しただけでも、東大理三合格の希少価値が分かる。
そこに我が子を3人も入れた話の何が人々の癇に障ったのか。主な佐藤亮子氏の発言は次のようなものである。
〈反抗期が来たらどうしようかな、と考えていました。私なりの答えは、優秀なコックになること。昔々のお母さんは薪をくべてご飯を炊いていました。生活の中で、自然と母のありがたさを感じることができた。けれど、今は500円あれば、子どもは自分でおなかを満たすことができる。これではいけません〉
未だに「飯炊き女」が女の使命なのですか、と聞いてみたくなる、男の私でも時代錯誤感を覚える発言だ。が、自らそうと決めて、その役割をまっとうした彼女の仕事自体は批判されなくてもいい。ワンコインのファストフードやコンビニ食ではなく、手作りの食事を子供に与えることの価値はそりゃあ、ある。古臭くても間違ったことはしていない。
〈受験に恋愛は無駄です(会場笑)。1日は24時間しかありません。女の子とスタバで2~3時間、お茶する。年1回ならいいですよ。けれど10回あれば30時間! その時間があれば参考書が1冊終わります。恋愛している場合ではないことを教えましょう〉
この部分はものすごく叩かれていた。「一度しかない10代を奪っておいてよく平気だな」とか「数字でしか人生の価値を計れない異常」とか。
そうかもしれない。しかし、勉強しなくて女に縁もない10代の男だって山ほどいる。また、昔から予備校の世界で「恋愛禁止!」は受験生の掟だ。本気で高い志望校に入りたいのなら、たしかに〈恋愛している場合ではない〉のである。東大理三に行きたきゃ、その感覚のほうが正解である。
数字でしか計れない人生というより、彼女は合理的なのだ。ただ、世の中ってのは広いもので、この炎上記事を読んでこうツイートしている人がいた。
〈自分だったら、「恋愛以前に灘高をスキップすべき」という回答になる〉
東大の薬学部を出て国立大医学部に入りなおした経験のある医師の井上晃宏氏なのだが、いつも極めて辛口というか、超合理的なもの言いをしていて、何かと気になるのである。今回も常人にはない発想でつぶやいていたから、直接、真意を尋ねてみた。そうしたら、井上医師はこう答えた。
〈高校生活は受験には不要なので、その時間を全部受験勉強にあてたら、誰でもトップクラスへ行けるんです。つまり、高校へ行かず、予備校へ行けということですね〉
ね、超がつく合理主義者でしょう。彼に比べたら、我が子を3人もちゃんと私立中高一貫校に行かせた佐藤亮子氏は甘い。しかも灘は、制服の着用義務も明文化された校則もない「自由と自治の伝統」を誇る名門。そこに6年間も通っていたならば、決してガリ勉だけの青春ではなかったはず。のびのびとしたエリート教育を受けているのである。