近年、嫌~な日本語がやたらと使われている。落語家の立川志らく氏は、そのひとつとして「アキバ」を挙げる。いったいなぜなのか。
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自分で劇団を主宰して演劇をやっていると、若い子たちの言葉が汚いのが気になる。
「超○○じゃね?」とか、「どんだけ」とか。私の演劇ではそれを逐一直していくだけではなく、「つくる」を「こしらえる」と表現してみたり、「~~な性格の人」というのを「性分」と言い換えたりする。
映画でも芝居でも、昔のきれいな言葉をあえて使い、ドリームの世界として表現しても“現代”はじゅうぶん描けるはずと思っているからだ。
小津安二郎の映画だって、あの時代の人があんなしゃべり方をしていたわけではなく、小津の美的感覚と世界観からあのように表現した。現代の若者言葉をそのまま使った映画や芝居の表現があるが、そのほうがリアルであるというのは錯覚ではないだろうか。
そうかと思えば、いまの若い子が「秋葉原」を称して言う「アキバ」は、実はそちらが正解で、「あきはばら」のほうが間違っている。もともとは秋葉様といわれた江戸の火除けの神様を祀った神社があったので、「あきばっはら」と呼ばれた場所だった。それが国鉄の駅ができたときに何かの間違いで「あきはばら」とされ定着してしまった。
本来は「あきばはら」のほうが近いのだけれど、そう言うと間違ったと思われてしまう。「あきばっはらに行ってくるよ」と言われたときには、もうどこに行くのだか全然わからない。
ただし、いま「アキバ」と言うとアニメやアイドル、オタクの聖地としてのイメージが強すぎる。昭和の頃の電気街まではよかったが、「アキバ」では一部の娯楽に偏り過ぎてしまう。もっと多様な性格のある町なのに、もったいないと思う。品川、目黒もそうだが、現代のイメージが強すぎて昔からある土地の特徴まで消えてしまうのは寂しい。